
絵画「雲海の上の旅人」。こちらから転載させて頂きました。
このシリーズでは科学技術分野に特化した教育論を論考しています。
まずは、科学技術分野に必要な知性を整理してみたいと考え、イマヌエル・カントの知性の分類を科学技術に適用しました。前回は「悟性」を対象にしました。今回は「判断力」です。
イマヌエル・カントの「判断力」(Urteilskraft, power of judgment)は、カントの哲学体系において重要な概念なのだそうで、『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft)で詳しく論じられているとのこと。
判断力は、感性や悟性、理性といった他の認識能力と連携しつつ、特定の事象を一般的な概念や規則の下に統合する能力を指すのだそうです。美的判断(美や崇高に関する判断)や目的論的判断(自然の合目的性を考える判断)にも関わるとのこと。
ここでは目的論的判断を考えてみます。科学技術的な目的論とその判断です。
近場の判断としては「過去の例」に従うという方法が有効である場合が多いようです。それが手法として確立されている場合もあるでしょう。個人や組織のポリシーが定まっている場合にはそれらに判断基準を求めるという方法もあります。
ですが、ここではもう少し大きな目的を考えてみたいと思います。科学技術の目的を「社会が幸福になること」と規定します。異論があるかもしれませんが、本稿ではこれを科学技術の目的とします。
とすれば、ある科学技術の種が発生したときにその是非、すなわち目的論的判断が求められます。
その種を育てるべきか、捨てるべきか(放置すべきか)です。個人としては「それを自身のテーマとするかどうか」、組織としては「それを大きなプロジェクトとして資金と人を投入するかどうか」という判断になるかと思われます。
その際に、上記の目的に合致しているかどうかを判断する力が試されるという訳です。
かつて、科学技術のリニアモデルが批判的に議論されたことがありました。現在の意味とは異なり、「何事もリニア(線形)に進める」考え方に対する批判です。
「1の次は2,2の次は3、、、」と科学技術の目標設定を単調増加で決めてゆく考え方が、科学技術の「判断力」としての良否が問われました。
以下では旅客機の高速化を例に挙げて「判断力」をなぞってみます。
初期の旅客機(1910年代~1930年代)はプロペラ機で、時速150~200km程度だったそうです。
第二次世界大戦前後(1930年代~1940年代)になると金属製モノコック構造の機体が普及し巡航速度は約300km/hに向上したとのこと。
ジェット機が登場した1950年代に巡航速度は約800km/hに達したそうで、それが普及(1960年代~1970年代)すると巡航速度はマッハ0.8(約950km/h)前後となり、国際線が一般的になったそうです。
そして、超音速旅客機の時代(1970年代~2000年代初頭) が到来すると超音速飛行(マッハ2、約2,200km/h)が実現されましたが商業的に失敗し、現代(1980年代~現在)では亜音速ジェット機(マッハ0.8~0.85、約900~1,000km/h)が主流になり、速度より燃費や快適性が重視される傾向となったそうです。
途中までは調子のよかった旅客機速度におけるリニアモデルも、音速の壁で直線が折れてしまったようです。「商業的に失敗」ということは社会の幸福に貢献できなかったということと等価です。
我々が学ぶべきは、この一連の流れの中で、優れた科学技術的「判断力」が発揮されたのかどうか、という点でしょうか?
「やってみなければわからない」はよい判断力とは言えないどころか、判断を放棄したのと同じでしょう。「上から言われたからやってみた」も同様です。ソビエト連邦の「Tu-144」やフランスとイギリス共同開発の「コンコルド」、これらのプロジェクトの推進に反対した人がいたとしたら、その「判断力」を鑑とすべきでしょうか?
別の見方をすれば、技術面の一本背負いだけだったではなく、利用者のニーズや利便性を考慮し統合した判断が超音速旅客機には欠けていたということになります。
次は科学技術的「理性」について論考します。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの第一回目はこちらです。
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