imgw07: 駿河國守護 今川 07 今川泰範・今川範政

今川範政の墓石。こちらから転載させて頂きました。

このシリーズでは島田に縁深い今川氏の源流に遡った論考を進めています。

前回は、今川範氏(1316-1365)が島田市大草の居館から駿河國の運営を進めていった経緯を記しました。

今回は、今川が島田から静岡に拠点を移す経緯を論考します。

今川範氏は、父の今川範国に先立ち50才で死去したそうで、墓所は慶寿寺(島田市大草)にあるとのこと。1365年のことでした。

今川範氏の長男・今川氏家が跡を継いで駿河國守護となりますが、4年後に氏家の弟の今川泰範(1334-1409)が還俗して1369年に駿河國守護を継いでいます。氏家はこの時に亡くなったとされていますが、わずか4年間の後継でした。墓所は偏照寺(藤枝市花倉)にあるそうです。

今川泰範は1378年に三代将軍足利義満より侍所頭人に任じられて幕政に参与したそうです。1391年の明徳の乱や1399年の応永の乱では幕府軍の一員として参戦し、武功を挙げたとされます。今川泰範の墓所は長慶寺(藤枝市下之郷:花倉城の近く)にあるそうです。

今川泰範の死後、嫡男の今川範政(1363-1433)が後継となります。今川範政は1416年に上杉禅秀の乱が生じた際の功により幕府の信任を得て、副将軍の重職に任ぜられたそうです。次の六代将軍足利義教からも寵愛を受けて重用されたそうで、1432年には富士山を遊覧してきた足利将軍を駿府にて饗応したとのことです。

今川範政の墓所は不明らしいのですが、静岡市の臨済寺(葵区大岩町)には墓石があるようです。駿府で将軍を饗応したことを鑑みると、今川範政が今川居館を島田市大草(ないし藤枝市花倉)から駿府(駿府城公園周辺らしい)に移したと考えるのが妥当と思われます。

従って、今川の居館が島田にあったのは駿河今川第二代の範氏から第四代(氏家を含むと第五代)の範政の頃までと結論されます。1345年頃から1415年頃までの約70年間ですね。

連歌師の宗長さんが島田に生まれたのが1448年と言われていますので、今川居館が駿府に移った後のことだったようです。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの第一回目はこちらです。

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