
今川貞世(了俊)の自筆書状。こちらから転載させて頂きました。

「英雄百人一首」での今川貞世。こちらから転載させて頂きました。

海蔵寺(袋井市)にある今川貞世供養塔。こちらから転載させて頂きました。
このシリーズでは島田に縁深い今川氏の源流に遡った論考を進めてきました。
前回は、室町幕府の副将軍となった今川範政(1363-1433)の頃に今川居館が島田市大草から駿府に移ったとする考察を記しました。
本シリーズの趣旨「島田市と今川」からはこれで一区切りですが、駿河國今川初代の今川範国の次男である今川貞世の活躍に言及しておきます。島田に駿河國今川の本拠があった時代のことだからです。
今川貞世(1326-1420)は室町幕府の侍所(軍事・警察)頭人(トップ)、遠江國守護、山城國守護、引付(裁判)頭人、九州探題を歴任しました。文官としても有能な人物だったようです。
九州探題職の際には、九州での南朝方の実質的な抵抗を終結に追い込んだように、指揮官としての能力が高かったことが分かります。ほかにも、明や李氏朝鮮との外交、倭寇対策などに実績を残しています。
ところが、1395年、家臣の力が強くなりすぎるのを警戒した三代将軍の足利義満に九州探題職を解任されてしまいます。結果、遠江・駿河半国守護となり、遠江國は弟の今川仲秋と、駿河國は甥の今川泰範と、それぞれ分割統治となりました。
さらに、最後は「今川」を名乗ることも禁じられ苗字が「堀越」になりました。晩年には『難太平記』の執筆など著作活動を行なったそうです。文章にも才覚があったという訳です。
墓所は海蔵寺(袋井市堀越)だそうです。並外れた才能が周囲の妬みを買った、トップから怖れられた、そのような人生だったように拝察されます。今の日本に必要な人材ですね。今川貞世の生まれ変わりが島田から…は高望みでしょうか?
このシリーズはこれで一区切りです。最後までご高覧下さり、ありがとうございました。
このシリーズの第一回目はこちらです。
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