dbme021: 大日山瞰川寺の石碑と御地蔵様(21)観世音菩薩 その2

観世音菩薩像の右側面の文字。

観世音菩薩像の左側面の文字。

このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつひとつご案内しています。

今回は観世音菩薩像の2回目です。再調査の結果をお知らせします。

まず、正面をよくよく眺めてみると文字が刻まれていることが分かりました。中央最上部に縦一行で「奉納」と読める字があり、その下に縦二列の文字列が並んでいました。右側は「西國〇〇」、左側は「〇〇當國」と読めます。その下に再び縦一行の文字列があり「順礼〇番〇」と読めます。

他方、右側面には「安〇二巳二月吉日」と読み取れる文字が刻まれています。「巳二月」は旧暦の2月という意味のようです。ちなみに、大日山瞰川寺の春季本祭は毎年2月15日に執り行われます。

「安」の文字が最初の年号は次の5回です:安政(1854年-1860年)、安永(1772年-1781年)、安貞(1227年-1229年)、安元(1175年-1177年)、安和(968年-970年)。「安」の次の文字が「永」に一番近いように思われます。よって、安永2年2月の建立と読み取れます。安永2年は1773年で、大日山瞰川寺の本堂建立直後の時期と重なります。

上記解釈が正しければ、観世音菩薩像は建立後252年が経過したことになります。

1773年と言えば、田沼意次が相良藩主となった翌年です。海外では、米国のボストン茶会事件が勃発しました。英国から米国が独立する切っ掛けとなった事件です。観世音菩薩像はアメリカ合衆国が独立を志した時からほぼ同じ年月の間、世界を眺めてこられたという訳です。

左側面には「當村同行 長〇〇 信助」と読める文字が刻まれています。「當村」は岸村のことでしょう。「同行(どうぎょう・どうこう)」は、仏教的文脈では「同じ信仰を持つ仲間」「共に信仰を実践する者たち」を意味するそうです。「長〇〇」さんと「信介」さんとでこの観世音菩薩像を建立したのかもしれません。

観世音菩薩像、今後の再々調査でより深い考察を進める所存です。

このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。

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