朝永振一郎博士と島田市 009 ノーベル賞受賞講演の分析

朝永博士と研究室への訪問客(朝永チームの木庭二郎氏と早川幸男氏も)。1950年頃。こちらから転載させて頂きました。

以降の本シリーズでは、朝永振一郎博士がスウェーデンのストックホルムで行ったノーベル賞受賞講演を頼りに朝永博士が辿られた思考の道筋を推論してゆくこととします。

なお、朝永博士のノーベル賞受賞は1965年12月東京であり、スウェーデンでの受賞講演はその半年後の1966年5月です。
島田滞在の1945年から21年後の出来事です。もしかすると、朝永博士の勘違いも講演に含まれているかもしれません。実際のところ、参考文献のページ数に誤植があったりします。が、頼りにすべき文献は他に無いため、この方法に立脚した推論を進めて参ります。
ただ、研究の進展に関する論理の組立に間違いが入る可能性は限りなく低いと考えられますので、それを主体と位置付けます。

朝永博士のノーベル賞受賞講演では超多時間理論と繰り込み理論の二本立ての説明がされていることはすでに述べました。
注目すべきは、主語が「I」の部分と「We」の部分とがあるということです。超多時間理論については主語を「I」として説明されていましたが、繰り込み理論については主語を「I」および「We」とされています。これは何を意味するでしょうか?

超多時間理論は朝永博士が個人として実施した研究の成果であり、繰り込み理論にはチームとしての研究成果の部分も含まれていたと朝永博士が認識されていたということでしょう。

とすると、繰り込み理論の誕生の経緯を推し量る上で、朝永振一郎チームの形成過程を押さえておくことが重要であると示唆されます。

以降、朝永振一郎チームを深掘りするとともに、繰り込み理論の研究過程を推理して参ります。

なお、戦争に関する筆者の考え方をこちらに記しましたので、ご高覧願います。

このシリーズはこちらに続きます。また、このシリーズの最初はこちらにあります。

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