wf003: 初代の女子サッカー日本代表選手

Sorry. This is an article in Japanese.

1980年の原宿。こちらから転載させて頂きました。

今回は私が大学3年生だったころの一場面です。

理科系学科に進学した私は、授業や実験、レポート作成、企業見学などに忙しい日々を送っていました。今から振り返ると、大学3年生のその頃が人生で最もよく勉強に励んだ時期だったと思われます。
昼休みは息を抜く唯一の時間で、学科の教室の近くにあった第二食堂で昼ご飯を食べるのが常でした。

昼食後は学生実験室での実験授業に向かうのですが、天気の良い日には、その途中にあったグランドに立ち寄りました。
現在は人工芝で覆われた近代的なグランドですが、当時は土のグラウンドでした。雨が降った後にはあちこちに水たまりができていました。

昼休みになるとミニサッカーに興ずる職員や学生が現れ、小さなゴールを攻め合う姿が見られました。結構に上手な人々でしたでしたので、それをグランド脇から眺めていたのです。
このような風景は研究助手をしていた米国の大学の芝生の上でも見られ、ミニサッカーは世界共通の余暇なのだとその時は感じ入ったものです。ただ、米国の大学にはバスケットコートが数多あったので、そちらも賑わっていました。

大学3年生の頃の話に戻ります。ある日、そのミニサッカーの一団の中に周囲とは明らかに立ち姿が異なる小柄な人が混ざっていました。
背筋がピンと立っているのに重心が低く、その人の軽やかな動きとボールさばきは突出していました。

その人こそ、初代の女子日本サッカー代表選手のSさんだったのです。
今では珍しくありませんが、当時は男子のサッカーに女子が混ざる場面は殆ど無く、私にとっては初めて見る光景でした。

1981年6月開催の第四回AFC(アジアサッカー連盟)選手権に初代日本女子代表チームが結成されたことは雑誌の記事で知っていました。
その中に自分と同じ大学の女子学生が含まれていることもその記事にありました。ですので、「あのSさんだ」と合点がいきました。

午後の始業時刻までプレーに見とれていた私は、貴重な体験をしました。
グランドから引き揚げてくるSさんと鉢合わせになり、道を譲ってもらいすれ違ったのです。
もう少しで「サインを下さい」と言いそうになりましたが、当時の私はまだまだ十分に謙虚で人見知りだったので、喉元まで上がってきたその言葉を飲み込んでしまいました。残念でした。

後で調べると、Sさんは経済学部の4年生だったことが分かりました。
前年の1980年3月に第一回全日本女子サッカー選手権大会で優勝したFCジンナン所属の中心選手だったことも。FCジンナンは原宿で活動していた女子サッカークラブです。

刺激を受けた私は、その後、自分の学科の有志を募ってにわか仕立てのチームを作り、大学内の総長杯というサッカー大会に2年連続で参加しました。いずれも2回戦負けでした。

このシリーズはこちらに続きます。また、このシリーズの最初はこちらにあります。

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