mf012: 三種類の知性との格闘

哲学者カントの肖像画。こちらから転載させて頂きました。

予め断っておきますが、私は哲学者でもなく、哲学を勉強した者でもありません。
従って、以下論考は間違っているかもしれません。その節にはご容赦願います。

哲学者カントは、人間の認識能力は理性・悟性・感性・判断力からなるとしたそうです。
このうちの理性・悟性・判断力を知性と分類したとのことです。

この知性の定義の中には記憶力が入っていないことに注意する必要があります。記憶力は知性を発揮するための手段ではあるけれど、知性そのものではないということだと解釈されます。
コンピューターにおいて演算処理装置と記憶装置が区別されているのに似ています。
従って、記憶力のみを増進させるような教育や記憶力のみを試すテストには知性の本質を育成したり点検したりする機能は無いと考えてよいことになります。
ただし、コンピューターの構成には連想記憶という手法もあります。知性を発揮するための記憶は瞬時に呼び起す必要があるのは人間も同じでしょう。要は記憶と知性が整理された形で結びついているかどうかということかと。

さて、カントの言う理性と悟性と判断力は互いにどう違うのでしょうか?それらの定義に触れる前にカントが示したといわれるそれぞれ知性の活用先を見てみましょう。

「悟性を有する者は役人になれる。判断力を有する者は指揮官になれる。理性を有する者は将軍になれる。」のだそうです。

職業に貴賤は無いはずですが、役人と指揮官と将軍とでは責任の重さが違います。つまり、知性の質によって担うことのできる責任の重さが異なるという訳です。

悟性は理解力ともいわれるようです。
私はこれが苦手でした。小学校から始まって、中学・高校・大学・大学院と教育のすべてにおいて「周りの人はなぜあんなに速く物事が理解できるのだろうか」と周囲に脅威を感じ続けていました。周囲の理解に遅れないように時間を掛けて自らの理解を補うことに必死でした。結果、四六時中考え続けるという癖が身に付きました。良かったのか悪かったのか分かりませんが、、。

大学院を修了する頃にカントの知性の分類を知り、自分は悟性が苦手なのだから、判断力と理性を磨くしか他に活路を開く道は無いと考えるようになりました。

判断力は文字通りで、判断が必要とされる場面で選択を間違えない能力と思われます。といっても、闇雲に判断すると失敗の確率が支配的となります。「下手な大将、敵より怖い」の世界です。
そこで、判断力を磨くことを「判断に必要な情報を収集する能力を高めること」と考えるようになりました。そうすれば、55%対45%というような微妙な判断も、その微妙さを意識して判断できます。

ところが、判断力の発揮には条件が必要です。特に、火急の場合には。その時に冷静になって判断材料を揃え、冷静にそれを判別するという必要が生じます。
これには経験や胆力といったものが求められるのではないでしょうか?未経験の状況や心の落ち着きが無い場面で判断を間違えやすいのが人の常なのはこのためではないかと考えます※。
※)ですので、判断の経験(練習)を若い頃から積む必要が生じます。「リーダーの練習はリーダーにならないと積めない」とするのはこのためかと。

最後は理性です。
理というのは「ことわり」とも読みます。故事に倣えば、石材の生産現場で大きな石を割る必要があるときに、その石が自ら「このように割れたい」という方向があるのだそうで、それをことわりと呼んだとのこと。結晶分野の専門用語では「劈開」特性と呼びますが、これを見抜くことは尋常ではありません。
「普通の人には見えないものが見える」という力量が必要となります。つまり、物事の本質を見抜く力量です。
物事の本質を見抜ければ、それに基づいて唱える理念に間違いは少ないはずです。それでこそ、多くの人々の命を預かる将軍に求められる資質です。物事の本質を見抜く力量、これが理性ということになります。

私は理科系の研究者でしたから、理性の発揮場所は「人々の命を預かる」場面ではありませんでした。
そこで、技術の先行きを見極めるという土俵を自身に設定しました。「本当に社会に役立つかどうか」が技術の本質なので、それを事前に見極め、その結果から自身の理性の評価をするという訳です。

自分自身が携わった技術開発については、いまだ結論が出ていないものが多いので自己採点は今後の人生で行うこととしています。とはいえ、自身の技術開発には認識の甘さがあったという反省は数多あります。

他方、他の研究者や技術者が主張する研究や技術についてはそれなりにその本質の認識を進める努力をしてきました。
岡目八目と言いますが、甘さが排除できるので、自身の理性の正当な評価となるはずです。
現時点で、当たったものもあれば外れたものもあったいう状況です。
全敗であれば自分の理性は低空飛行ということになりますが、当たることもあるので理性ゼロではないという自負もあります。
私の場合、決して賢者ではありませんので、歴史から学ぶのみとはいかず、経験(見聞きしたことを含む)に頼る理性認識ということになります。

さて、現在の世の中を見まわしてみると、技術の進展は早く、その先行きを見極める対象も多々あります。

ですが、トランプ大統領の登場により内政・外交・金融・貿易という大きな要素が激変する可能性が生じています。

この変化について様々な人々が様々な見解を表明していますが、どこの誰が本質を見抜いているか、それを見極める好機が生じているとも言えます。

知性、特に理性が求められる時代が訪れているようです。

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