
オランダ黄金時代の絵画「真珠の首飾りの少女」。こちらから転載させて頂きました。
このシリーズでは、GROKさん(AI)からの回答に関連して、自らの思うところを深めてみたことを記してみたいと思います。
今回はオランダの黄金時代について、その成立の背景と終焉の原因を考えてみます。
インドネシアの歴史が知りたかったのでそれをGROKさんに尋ねる中で、オランダ植民地時代の事が出てきました。
欧州国の植民地獲得競争という観点からは、インドネシアに足がかりを最初に作ったのはポルトガルだったようです。1529年のサラゴサ条約でスペインとの植民地分界線が定まったころにジャワ島に進出したようです。
ところが、オランダはポルトガルに競り勝ち、17世紀にはインドネシアの主たる交易相手となったようです。1602年に世界初の株式会社である東インド会社を設立したのが契機とのこと。
ここで、「なぜ、オランダはポルトガルに勝利したのか?」と尋ね直したところ、「方針の差」という回答が返ってきました。
ポルトガルはキリスト教のカトリックを現地の相手に強要して反発を買っていたのに対して、オランダは宗教に固執せず交易を優先したというのです。アジアの別のどこかでも同じようなことが同じ時期にあったことを思い出しました。
東インド会社のビジネスにより国力を増したオランダは、1648年のヴェストファーレン条約によってスペインからの独立が国際的に承認されます。
そして、黄金時代の絶頂を迎えたそうです。冒頭の ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画もその頃に描かれたものとのこと。
そのようなオランダの黄金時代も終焉の時を迎えます。「盛者必衰の理なり」ですね(笑)。
その原因が現代にも当てはまる普遍的なものかどうかを知りたいと考え、ここでサラ問をしました。その答は以下の通り。皆さんはどう思われますか?
(ここから)
18世紀、イングランドが産業革命を起こし、織機や蒸気機関を活用した大規模製造業で経済力を急伸。オランダはこれに対抗できず、商業利益が相対的に縮小。金融業(例:債券発行や貸付)は短期的な富をもたらしたが、製造業の基盤がなく長期的な経済成長が停滞。オランダは「金融化」により、資本が海外投資(例:イングランド国債)に流れ、国内産業の育成が後回しに。高い賃金と労働力不足も、製造業の競争力を削ぎ、商業・金融への依存をさらに深めた。商業・金融に偏った経済は、競合国の工業化や軍事力強化に追いつけず、オランダは18世紀に国際的地位を失った。
(ここまで)
トランプ大統領は米国製造業の復活を目標に設定しているようです。
そのために関税をツール化していると私は見ています。ディールのカードでしかないのかもしれませんが、、。ですが、上記のオランダ黄金時代の終焉を念頭に置いているとすると、何となく長期戦略が見えてくるように思われます。
日本はどうでしょうか?
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