ntn04: アイザック・ニュートン 04 大学生の頃

ケンブリッジ大学トリニティカレッジ。こちらから転載させて頂きました。

レン図書館。こちらから転載させて頂きました。

ニュートンはグランサムの自宅から100㎞離れたケンブリッジ大学(the University of Cambridge)に入学しました。
叔父の勧めがあったと言われます。1661年、ニュートンは18歳でした。

学問のキャンパスはトリニティカレッジ(Trinity College)でした。このカレッジは1546年に国王ヘンリー8世によって設立され、ニュートン入学時にはすでに100年以上の歴史を重ねていました。ケンブリッジ大学で最も大きく、財力のあるカレッジの一つでした。数学、哲学、神学で特に評価が高かったようです。

トリニティカレッジにはレン図書館(Wren Library)があって、そこにはコペルニクス、ケプラー、ガリレオの著作や資料が蓄積されていました。ラテン語でしたが、入学時のニュートンはこれらの文献に当たるに十分な語学力を備えていたようです。

当初はサブサイザー(Subsizar)とよばれる学生として入学し、1か月後にはサイザー(Sizar)となったとのこと。
サイザーとは、講師の小間使いとして給仕などの使い走りをする見返りに、授業料や食費の援助を受ける学生身分なのだそうです。
苦学生ではなかったかと思われます。
彼は数学、物理学、哲学に強い関心を示し、独学でデカルト(René Descartes)、ガリレオ、ケプラーの著作を読み漁ったとのことです。

私は、これらの文献を入手できる環境をニュートンが自力で持っていたと勘違いしていました。その勘違いのために、ニュートンを裕福な貴族と思い込んでいました。そうではなく、大学の図書館に宝物が置かれていて、ニュートンはそれを利用できる学生だったのです。

1439年頃にグーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)がヨーロッパで初めて活字による印刷を開発していました。これにより、文献は比較的広範に行き渡っていたという事情もあったようです。ラテン語ではありましたが、、。

ただ、ニュートンは独学の天才として知られていて、自力で文献と向き合い真理を掴むタイプだったようです。教えられたことだけに知性を留める他力本願の学生では図書館の宝物も「猫に小判」となりかねません。

また、1664年に奨学金を得るものの、ケンブリッジ大学の学生としての成績は突出したものではなかったようです。成績に関連する課題には関心が向かなかったのかもしれません。

ただ、数学的思考については、ケンブリッジの「スーパービジョン」制度(個別指導)によりバロー教授(Isaac Barrow、数学と光学に業績)らから受けた直接指導が効果的だったようです。

そして、1665年、ニュートンが22歳の時に「奇跡の年(Annus Mirabilis)」が訪れます。

このシリーズはこちらに続きます(新しいシリーズ投稿がアップされるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの最初はこちらになります。

コメント / Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です