19cw004: 19世紀の戦争_004 フランス革命戦争_2 負けるための戦争を提案

アメリカ独立戦争においてフランスとイギリスの間で戦争が始まる前、アメリカの反乱軍を支援するための武器取引の中心にいたピエール・ボーマルシェ。いわゆる「武器商人」だったようです。『セビリアの理髪師』、『フィガロの結婚』、『罪ある母』からなる「フィガロ3部作」の戯曲の作者としても有名。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回は戦争の端緒を開いたのはフランスの革命政府で周囲の王政諸国ではなかった、それはフランスが外に攻めてゆく外征だった、宣戦布告はルイ16世の提案で形式上の布告者もルイ16世だったことを記しました。

今回は、少し遡って当時のフランスの政治形態の説明を試みます。

革命が勃発した1789年から宣戦布告の1792年にかけてのフランスは、王政から立憲君主制への移行期で、二重権力状態が続いたとされます。

当初、行政の名目上の権限はルイ16世にあり、中央政府には王政時の官僚が多く残っていたようです。他方で、国民議会が財政・税制・行政区画の改革を進め、地方自治が導入されつつあったとのこと。司法については1790年に司法組織法が成立し、国王の裁判権が否定され、裁判官は公選制で選出されるようになっていました。

1791年には憲法が制定され、行政(国王)、立法(議会)、司法(公選)と形式上の三権分立が整いますが、大臣や中央行政官は国王寄りのよりの立場を取り、議会と対立したようです。ルイ16世は憲法を受け入れた振りをしながら、外国勢力と連絡を取り王政復古を目指していたとされます。

結果として行政が麻痺し、地方行政官や革命委員会、民兵が実際の執行力を握るようになったそうです。

そもそもの革命の背景にはフランス財政の破綻がありました。その主因はアメリカの独立戦争を支援するための出費だったとされます。七年戦争(1756年~1763年)でイギリスに奪われた北米植民地の奪還が動機だったと言われます。判断はルイ16世でした。そして、フランス革命当時、税金は平民だけにのしかかっていました。アメリカ独立を支援した費用が平民の負担として回ってきたという訳です。戦争を決断する人(およびその周辺)とそのための費用を負担する人が別々で時期もずれています。ルイ16世が自腹を切るのであれば、果たして、アメリカの独立を支援したでしょうか?


フランス革命戦争の端緒となった宣戦布告の思惑に戻ります。

ジロンド派が率いる革命政府は「革命の防衛と自由の拡大」や「王政諸国の干渉を警戒」などと表向きの理由を宣戦布告に挙げていましたが、第一の目的は政治的混乱と経済危機に苦しんでいた国内の不安を外に逸らすためだったようです。「革命をしたけれど行政不調で経済もどん底」という国内情勢だったようです。20世紀以降もよく使われている常套手段(高市首相が尊敬する人がフォークランド戦争で支持を回復したのは有名です)が、この時も選択肢となったようです。

他方、ルイ16世は、なんと、革命政府の敗北を願っての宣戦布告だったようです。敗戦により自身の権威が回復すると考えていたそうです。戦闘に送り出された方としては堪ったものではありませんね。「〇〇の大将、敵より怖い」の好例です。人の命を軽んずる為政者やその取り巻きはこのようなことを考えるようです。

なお、宣戦布告の前にはフランス国外に逃亡した貴族の暗躍や工作、王政諸国の干将もあったようなので、この戦争の端緒についてはそれらも勘案される必要があると考えられます。

ともあれ、戦争を画策する人々とその負担を負う人々が異なっていたことは明らかなようです。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「フランス革命戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。 

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