(抜粋)イギリス・フランス両国がクリミア戦争介入を決意するきっかけとなったシノープの海戦について調べてみました。


「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
ここ何回かはクリミア戦争を俯瞰しています。
発端はモルダヴィアとワラキアの二公国へのロシアの侵攻でした。
ですが、この侵攻はそれ以前の数度にわたる露土戦争の「再来」という性格が強いもので、仏英が手出しするようなものではなかったのではないかと筆者は考えています。
そもそも、この二公国はクリミア半島とは別の場所※にあります。
※)ロシア帝国が黒海北岸を獲得した後に本格的に建設した(1794年)新都市であるオデッサ。そのオデッサから見ると、二公国は西でクリミア半島は東と正反対の関係。
そこにフランス・イギリスが1854年に首を突っ込み、戦場が(ロシアの黒海艦隊の拠点がある)クリミア半島になった、、、という解釈もほぼ確信に変わりつつあります。
その中で、シノープの海戦という要素が浮上してきました。
オスマン帝国とロシアとの間の海戦です。
どうやら、この海戦の結果がフランスとイギリスを刺激したことになっているようです。
そこで、シノープの海戦を調べてみることにしました。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
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0)はじめに
シノープの海戦は、クリミア戦争が「ロシアとオスマン帝国の戦争」から「英仏を巻き込んだ国際戦争」へ転換する重要な契機と考えられているそうです。
1)シノープ
シノープ(Sinop)は、現在のトルコ北部、黒海沿岸にある港町。
黒海のシノープはおおむね南岸の中央よりやや東寄り※に位置します。
※)黒海北岸のクリミア半島のほぼ対面に位置します。最近、有名なエジプト人サッカー選手のモー・サラーが移籍したトラブゾンスポル・クラブのあるトラブゾンはシノープの東400㎞に位置します。
この位置の意味を列挙してみます。
・クリミア半島・セヴァストポリ※の黒海南方向にシノープ
・シノープから西へ約300kmにボスポラス海峡
・その西端にイスタンブール
※)ロシアの黒海艦隊の基地。天然の良港を利用してロシアが作った軍港。
2)シノープの海戦
1853年11月30日、シノープ港でロシア黒海艦隊とオスマン艦隊が衝突。ロシア側の指揮官はパーヴェル・ナヒーモフ提督。
シノープ湾内に停泊していたオスマン艦隊をロシア艦隊が攻撃。
ロシア側は戦列艦6隻・フリゲート3隻などからなる艦隊。オスマン側は16隻程度の艦船(フリゲート・コルベットが中心)を擁していた上に沿岸砲台の支援を受けたそうですが、オスマン艦隊はほぼ壊滅した※とのこと。
※)ロシア側の火力が質量ともに上回ったようです。奇襲という要素は特に無かったようです。
3)シノープ海戦の意義
軍事的にはロシアの大勝利も、外交的にはロシアにとって非常に大きな失点となったそうです。
特にイギリスとフランスでは「ロシアがオスマン帝国の黒海沿岸を制圧しようとしている」という危機感が急速に強まったとのこと。
それまでの英仏は、ロシアとオスマン帝国との対立をできるだけ外交交渉によって収拾しようとしていたそうです※。
※)1853年7~8月、イギリス・フランス・オーストリア・プロイセンの4大国がウィーンで協議し、ロシアとオスマン帝国の双方が受け入れられる妥協案「ウィーン・ノート」※※を作ったそうです。
※※)ロシアはこれを受け入れたそうですが、オスマン帝国は修正を依頼したそうです。1853年の時系列を整理すると、「6月:二公国へのロシア侵攻⇒8月:ウィーン・ノート※※※(フランス提案)⇒10月:オスマン帝国の宣戦布告⇒11月:シノープ海戦」となります。
※※※)「○○ノート」と言えば、日本人には「ハル・ノート」が忘れられないものですが、19世紀初頭にノートを外交で発したのはロシアだったようです。ナポレオンとロシア皇帝アレクサンドル1世がティルジット条約を結んだ後、ロシアはイギリスとの戦争を終わらせようとして、イギリス政府に正式な外交ノートを送り、ロシアによる仲介を提案したとのこと。
ところがシノープでオスマン艦隊が壊滅すると、
「このまま放置すれば、ロシアが黒海を支配してしまうのではないか」
という認識が強くなったとのこと。
そして英仏の艦隊が黒海へ進出し※、1854年3月にイギリスとフランスがロシアに宣戦布告。
※)オスマン帝国と英仏との同盟締結は1854年4月で、英仏艦隊の黒海進出は同年1月で宣戦布告は同年3月。ChatGPTによれば、同盟関係が結ばれていなくても「外交的・軍事的な協力関係を築いていれば」第三者が宣戦布告することは許されると当時の列強は考えていたようです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
ある国が戦力拡充をするとより大きな戦争が始まってしまう、クリミア戦争はその好例だったようです。
とまれ、クリミア戦争の理解を深めるためにはロシアの黒海艦隊の理解を深掘りする必要があると感じました。
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
ミニシリーズは以下ようにまとめてあります。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「ウィーン会議後の戦争(テキサス独立戦争ほか)」
・「第一次アフガン戦争」
・「第一次アヘン戦争」
・「アメリカの戦争(米墨戦争ほか)」
・「クリミア戦争」




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