(抜粋)クリミア戦争において英仏の介入を招いたロシアの黒海艦隊について調べてみました。


「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
ここしばらくはクリミア戦争を俯瞰しています。
前回、イギリス・フランス両国がクリミア戦争介入を決意するきっかけとなったシノープの海戦について調べました。
オスマン帝国艦隊がロシアの黒海艦隊により壊滅させられたのがシノープの海戦でした。
ところが、クリミア戦争の30年前のギリシャ独立戦争(1821年2月~29年9月)で英仏と艦隊を連合したロシアが地中海に送り出した艦隊は、黒海艦隊ではなく、遠路ジブラルタル海峡を経由したバルト海艦隊でした。
ロシアはギリシャ独立戦争の後に黒海艦隊を整備したのでしょうか?
そこで、歴史を遡り、ロシアの黒海艦隊について調べてみることにしました。
例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。
》》》》》》》》ここから》》》》》》》》
1)ロシア黒海艦隊
ロシア黒海艦隊の整備時期はシノープを理解するうえで非常に重要。
ロシアが本格的に黒海艦隊を建設し始めたのは、18世紀後半、エカチェリーナ2世の時代。
大きな転機はロシアの1783年のクリミア・ハン国併合で、黒海におけるロシアの戦略的地位が大きく変化。
同じ1783年、現在のセヴァストポリに海軍基地が建設され、ここが黒海艦隊の主要基地に。
セヴァストポリの建設は1783年6月に始まり、翌1784年に「セヴァストポリ」と命名※されたそうです。
※)何もないところに建設されたようですな。サンクトペテルブルクと同様に人工的に都市を構築するのはロシアの特色でしょうか?なお、2,500年前の同地域はギリシャの植民都市であり、ギリシャ風の野外劇場跡もあるようです。より正確には「何もないところ」ではなかったのかもしれません。
とまれ、ロシア黒海艦隊の「誕生年」としては、一般に1783年が挙げらるそうです。同年5月13日に艦隊の部隊がアフチアル湾(後のセヴァストポリ)へ入ったことが、その起点とされているとのこと。
そして、19世紀前半に黒海艦隊を増強し、1853年にシノープ海戦に投入という経緯。
2)セヴァストポリが重要だった理由
セヴァストポリは天然の良港で、深い湾があり、大型艦船を収容できるうえ、周囲の地形が防御にも適していたそうです。
1853年のロシアは、クリミア半島のセヴァストポリを本拠地として、黒海を行動範囲とするかなり強力な艦隊を持っていたとのこと。
そしてシノープ海戦では、その艦隊が本格的に力を発揮したそうです。
3)黒海艦隊の位置付け
1783年の黒海艦隊創設は、「クリミアを獲得し、黒海でオスマン帝国と戦うための艦隊を整備した」という意味合いが強いようです。
その主目的は、
・クリミアの防衛
・黒海沿岸の防衛
・オスマン艦隊との戦闘
・黒海におけるロシアの制海権確保
だったそうです。
4)英仏軍
ロシアはシノープ海戦で軍事的には勝利したのに、その勝利がイギリス・フランスの参戦を促す結果になったようです。
そして翌1854年、英仏軍は黒海を渡ってクリミア半島に上陸※し、最終的にはロシア黒海艦隊の本拠地セヴァストポリを包囲。
※)より詳細には、1854年3月に英仏がロシアに宣戦布告、同年春~夏に英仏軍がオスマン帝国側のヴァルナ(ブルガリア)に集結、同年6~7月頃に英仏軍の一部がドナウ方面へ移動、同年7月にロシア軍が二公国から撤退、その後、オーストリア軍が二公国に進駐し、英仏軍は主としてクリミア半島へ向かうという経緯だったようです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
黒海艦隊創設の目的は「ロシアの対オスマン帝国」であり、黒海から地中海への進出も「オスマン帝国対策」の範疇を出ていなかったようにも思えます。
英仏は、ロシアの黒海艦隊を黒海内に閉じ込めるのには満足せず、「クリミア半島に乗り込んで黒海艦隊の拠点を潰す」という策に出たようです。
ところで、そもそものところでクリミア半島を支配していたクリミア・ハン国とはどんな存在だったのでしょうか?
次に続きます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらにリンクされます)。
このシリーズの初回はこちら、同じく前回はこちらです。
ミニシリーズは以下ようにまとめてあります。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
・「テキサス独立戦争」
・「第一次アフガン戦争」
・「第一次アヘン戦争」
・「アメリカの戦争(米墨戦争ほか)」
・「クリミア戦争」




コメントを残す