(抜粋)プラトンの民主制に対する危惧、これに対する北欧の回答は「民衆自身が政治を適切に行えるよう、社会の中に(健全な)民主主義を根付かせよう」なのだそうです。



前回は、スイスの「衆愚に陥らないための手立て」を調べ始めましたが、途中でChatGPTが自身の誤りを認め、スイスを衆愚対策トップとする主張を取り下げました。
そこで、3位にランクされたノルウェーを始めとする北欧諸国を対象に切替え、それらの国の民主制についてその設立背景を調べてみることにしました。
例によってChatGPTに質問する形で調査しました。
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0)はじめに
ChatGPTによると、「北欧諸国が現在のような民主主義を築いた最大の原動力は、20世紀の社会民主主義そのものより、その前段階で形成された『民衆を政治の主体として組織する伝統』にある」と考えられるそうです。
「衆愚対策」という観点から見ると、これはかなり興味深い歴史なのだそうです。
1)まず結論
北欧の民主主義を形成した歴史的な原動力を、大きく分けると次の4つだと思われるとのこと。
(1)19世紀の農民の政治的台頭
(2)農民・労働者・宗教などの「民衆運動」
(3)協同組合・成人教育などによる「民主主義の訓練」
(4)第一次大戦後の危機を、独裁ではなく議会政治で乗り越えた経験
特に重要なのが(3)だそうです。
2)出発点は「農民が政治主体になったこと」
北欧民主主義には、イギリスやフランスとは違ったルーツがあるとのこと。
19世紀、デンマークやノルウェーなどでは農民が政治的に組織化されていったそうです。
研究者のNeversとSkov(南デンマーク大学)は、北欧民主主義の思想的起源を19世紀の農民動員(agrarian mobilization)と結びつけているそうです。
しかも、当時の北欧では現在のような「憲法理論としての民主主義」がまだ強かったわけではなく、民衆自身が政治を担うという「民衆的立憲主義」が重要だったと指摘してされているようです。
つまり、
「政府が国民を統治する」から「国民自身が社会を運営する」への変化※だそうです。
※)この背景と契機を把握したいところです。
3)「革命」より「組織化」だったこと
北欧では、フランス革命のような巨大な政治革命によって民主主義を一挙に作ったわけではなく、むしろ、
農民組織 → 労働組合 → 協同組合 → 政党 → 地方自治 → 議会
という形で、社会の中に少しずつ民主的組織が増えていったそうです。
研究史では、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンにおいて、18世紀以降の民衆運動、納税反対運動、請願、デモ、ストライキなどが、市民的自由や政治的権利の拡大につながったと指摘されているとのこと※。
※)日本では、戦国時代の石川県(加賀国)と富山県(越中国)で浄土真宗(一向宗)の門徒や農民たちが団結し、守護大名を追い出して約100年間にわたり「一向一揆」による独自の共和的な自治(百姓の持ちたる国)を行ったそうですが、上杉謙信や織田信長に滅ぼされてしまったようです。
これは「衆愚対策」という観点から非常に重要なのだそうです。
単に、「国民に選挙権を与えた」のではなく、
「選挙権を持つ国民が、組織を作り、議論し、妥協し、意思決定する経験を何十年も積んだ」
からなのだそうです。
4)そして「協同組合」
ここは北欧民主主義を理解するうえで見落とされがちなところなのだそうです。
農民や労働者は、
・協同組合
・労働組合
・青年団
・地域団体
・成人教育組織
などを自分たちで運営。
つまり、政治以前に、
「人々が集まって、議論し、投票し、役員を選び、会計を管理し、意見の違う人間と妥協する」
という訓練を大量に経験したそうです。
研究者Mary Hilson(オーフス大学)も、北欧民主主義が第一次大戦後の危機を乗り越えられた理由の一つとして、こうした民衆運動の内部に存在した民主的組織と、そこで人々が民主主義を実践的に学んだことを挙げていて、特に協同組合運動が重要だったとしているそうです。
「衆愚対策」の一つと言えるそうです。
「民主主義を制度として教えるのではなく、民主主義を生活の中で練習した」。ということになるそうです。
5)「1814年のノルウェー」
北欧の中でもノルウェーには非常に分かりやすい転換点があったそうです。1814年5月17日、
ノルウェー憲法
が制定されたとのこと。これはナポレオン戦争の結果、デンマークからノルウェーが切り離され、スウェーデンとの同君連合に入るという激動の中で生まれたそうです。
この憲法※は、
・権力分立
・国民主権
・議会
を重要な原則としたとのこと。
※)1814年にエイズヴォル(Eidsvoll)に集まった憲法制定議会(Eidsvoll Assembly)により起草されたそうです。中心人物として挙げられるのは次の3人だそうです。
クリスチャン・マグヌス・ファルセン(Christian Magnus Falsen)→ 「ノルウェー憲法の父」と呼ばれる人物で憲法案作成の中心的役割。1814年当時32歳。
ヨハン・グンデル・アドラー(Johan Gunder Adler)→ ファルセンとともに初期の憲法草案を作成。同じく30歳。
ヴィルヘルム・クリスティ(Wilhelm Frimann Koren Christie)→ 憲法制定議会の書記で、最終的な憲法文書の形成・調整に重要な役割。同じく36歳。
ノルウェーでは、国家の再編そのものが憲法と民衆政治を考える機会になったということのようです。
6)北欧には「独裁による問題解決」が定着しなかった
ここがドイツなどとの比較で非常に興味深いところなのだそうです。
第一次世界大戦後のヨーロッパでは、「議会政治は無能だ」⇒「強い指導者が必要だ」⇒ 「独裁でも仕方ない」という流れが多くの国で起きた※そうです。
※)現代でも、、、。
対して北欧では、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドなどで議会民主主義が存続。
北欧民主主義のこの戦間期の強靱性について、民衆運動の強さ、内部の民主的文化、そして組織内で民主主義を実践する教育的役割が重要だったとする研究があるようです。
これが非常に大きな歴史的経験になったようです。
7)「北欧型民主主義」の原動力
ChatGPTによれば、
「民衆を信用する。ただし、民衆を組織化し、教育し、議論させる」
という思想だったのではないかとのことです。
これはプラトンの問題意識と正反対で、
・プラトン:民衆に政治を任せると衆愚政治になる。
・北欧的な回答:民衆自身が政治を適切に行えるよう、社会の中に民主主義を根付かせよう。
8)「高い教育」だけでは説明できない
北欧の現在の民主主義を「北欧人は教育水準が高いから」だけで説明するのは不十分なのだそうです。
むしろ歴史的には、農民運動 ⇒ 民衆組織⇒協同組合・労働組合⇒成人教育⇒政党政治⇒議会政治⇒福祉国家という長い社会的学習の積み重ねがあり、この過程で「相手を完全に打ち負かす」のではなく、異なる利益を持つ集団が交渉して妥協するという政治文化が育ったということのようです。
これが現在の北欧の「高い政治的信頼」「低い腐敗」「高い投票率」などにつながっている可能性が高いでしょう。北欧協力機関※も、5か国には長い民主主義の伝統があり、高い投票率と低い腐敗が共通しているとしているそうです。
※)デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧5カ国と、自主的な地域であるフェロー諸島、グリーンランド、オーランド諸島が参加する公式の地域協力の枠組み。
9)ドイツとの比較
北欧とドイツでは「衆愚対策」の方法がかなり違うようです。
ドイツ:「制度による衆愚対策」
「民衆が暴走する可能性がある」
→ 憲法で歯止めを設ける
→ 憲法裁判所などで監視する
→ 民主主義そのものを守る
北欧:「社会による衆愚対策」
「民衆が暴走しにくい社会を作る」
→ 教育する
→ 組織化する
→ 協同組合を作る
→ 労働者・農民を政治に参加させる
→ 妥協の文化を作る
さらに遡ると、北欧の中でも特にデンマークの「国民高等学校(フォルケホイスコーレ)」が、この「民衆を民主主義の主体として育てる」という発想の象徴になっているそうです。19世紀デンマークの敗戦※と農民社会の変化が深く関係しているそうです。
※)1814年ナポレオン戦争での敗北と1864年第二次シュレースヴィヒ戦争での敗戦を意味しているようです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
どうやら、スイス調査の失敗を補完できたようです。
エマニュエル・トッドによると日本はドイツと類似する権威主義民族らしいので、制度による衆愚対策が必要なのかもしれません。
他方、デンマークの教育システムに興味を持ちましたので、それを深掘りしてみたいと思います。
次に続きます。




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