
ハイゼンベルク博士

ハイゼンベルク博士が花粉症療養で滞在したヘルゴランド島
朝永振一郎博士は1945年4月よりも前から島田の研究所(海軍研究所)に出入りされていたようです。
その契機は1944年4月に島田で開催された中間子研究会でした。当時の原子核研究の精鋭が島田に集って激論を交わしたようです。
島田の海軍研究所では航空機を探知するためのレーダー信号源の開発が行われていました。
ところで、朝永博士の島田単身赴任4ヶ月を短期間と見るか、重要な発案をするに十分と見るか、どちらと考えるべきでしょうか?
ここでは、朝永博士の師匠のハイゼンベルク博士(Werner Karl Heisenberg 1901-1976)の例を挙げて考えてみましょう。
ハイゼンベルク博士の行列力学は物理学を専門とする者であれば誰もが知っている偉大な概念です。ハイゼンベルク博士はこの概念に関連する重要な発案を北海の孤島(Helgoland島)で得たようです。花粉症に苦しんでおられたハイゼンベルク博士は、気鋭の研究者が集う留学先のコペンハーゲンから花粉の無いこの島に療養に来ていました。そこでの滞在は3か月弱だったようですが、この短期間に世紀の発案に至ったとのことです。
花粉から逃れてきたハイゼンベルク博士と、東京の空襲から逃れてきた朝永博士。両者に共通項があると考えるのは筆者だけでしようか?
因みに、優秀な理論物理学研究者にとって、「準備が整っていれば」が前提ですが、世界的な発想を得るのに必要な時間は一瞬のようです。実際、朝永博士は重要な発想を三鷹の通勤バスの中で得たこともあるようです。
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