19cw014: 19世紀の戦争_014 ナポレオン戦争_1 イギリスによる開戦

ナポレオン戦争の開戦の1803年ごろに英国風刺画作家のJames Gillrayがナポレオンを描いた「The Hand-Writing upon the Wall」。こちらから転載させて頂きました。

ナポレオン戦争を始めた主役の英首相ヘンリー・アディントン。こちらから転載させて頂きました。

1804年に描かれたJames Gillrayの「Britannia between Death and the Doctor’s 」。アディントン首相を前任の小ピットが追い出している情景。踏みつけられている男性医師は共和党員(=フランス革命型の反王政急進派)。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回まではフランス革命戦争(1792年~1802年)の様々な側面を見てきました。

国民皆兵やら所得税やらが戦争継続のために新たに生み出され、「自由・平等・友愛(博愛)」を掲げた革命がクーデターで独裁になってしまったり、金融が戦争継続を支えたり、と近代の戦争の本質が発現した出来事だったようです。

現代の私たちがここから得る教訓は貴重なものとなるのでは、、と感じ入っています。

さて、1802年3月25日のアミアンの和約によって10年間続いたフランス革命戦争が終結しました。やっと終戦になったにも関わらず、1年後に新たな戦争が始まります。金融の非線形性がこれを可能にした旨をすでに記しましたが、最後の決断を下したのはイギリス首脳部のようです。

翌1803年5月にイギリスはフランスに対して宣戦布告をします。形式的に宣戦布告を発したのは国王のジョージ3世でしたが、立憲君主制のイギリスでは内閣の集団的判断の結果だったようです。首相のヘンリー・アディントン、外相、内閣の主要閣僚、議会(下院多数派)などによって決まったようです。

宣戦布告の表向きの理由は「フランスがアミアンの和約を守っていない」とのことでしたが、守っていないのはイギリスも同じでした。

例によって、開戦時の「戦争を必要とする理屈」はフェイクだったようです。

フランス革命戦争の宣戦布告はフランスのルイ16世でした。イギリスは、当初、静観していたのですが、第一回対仏大同盟を組織して参戦します。10年経ってやっと終結しましたが、その1年後に、今度はイギリスから宣戦布告をして戦争を始めたという訳です。

そしてこのナポレオン戦争と呼ばれる戦いは1815年まで続きます。当然ながら、その犠牲は庶民に降りかかります。

イギリスの首脳部は、いったい、どのような動機で戦争を再開したのでしょうか?また、ナポレオンはどのような対応をしたのでしょうか?

第一に上掲した風刺画は1803年頃に描かれたJames Gillrayの「壁に描かれた手書きの文字」です。

「壁に描かれた手書きの文字」は旧約聖書『ダニエル書』に由来し、「王国の滅亡の予告」を意味するそうです。

Gillrayは「ナポレオン(およびフランス帝国)の破滅は、すでに避けられないもの」という意味を込めて描いたようですが、ナポレオン戦争開始直後にこれが描かれた深層はかなり複雑なようです。

イギリス首脳部は「放置しておけばナポレオン(およびフランス帝国)の破滅は自然と訪れる」とは考えていなかったようです。にもかかわらず、上掲の風刺画です。

また、最後の風刺画は開戦時における英国政府のある種のドタバタが描かれています。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争

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