19cw027: 19世紀の戦争_027 テキサス独立戦争_1 メキシコ独立戦争

イダルゴの肖像画。メキシコ独立(共和国化は1824年ないし1867年)を祝うパンフレットに掲載されたエッチング。大き目の文字は「共和国万歳!」(上)、「イダルゴ神父万歳!」(下)、「1810年のメキシコ独立万歳!」(左側)、「政治的解放を成し遂げた指導者たちに敬意を表します」(右側)、「栄光の一ページ!」(文頭)とあります。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回はナポレオン戦争(1803年~1815年)から第一次アフガン戦争に至るまでに発生した大きな戦争三件のうちの二件目のギリシャ独立戦争(1821年2月~29年9月)を俯瞰しました。

オスマン帝国からの独立を「ギリシャ人」が画策して戦争となったものですが、この「ギリシャ人」が古代ギリシャを国民の起源と考えたのか、その古代ギリシャを征服したローマ帝国の「東」であるビザンツ帝国を起源としたのか、筆者のような第三者にはよくわからない理屈を基に利権を求めた列強が介入した戦争でした。

「戦争」という場面では民族の起源の精度は無関係ということなのでしょうか?


さて、今回は三番目のテキサス独立戦争です。

ですが、この戦争の理解を深めるためにはメキシコという国の成り立ちを把握しておく必要がありそうだと考えました。

そこで、当初の計画からすると少し寄り道になりますが、メキシコがスペインから独立を果たしたメキシコ独立戦争を俯瞰しておくことにします。
⇒筆者が米国カリフォルニアに留学していた頃、メキシコ系テレビチャネルの「UNIVISION(スペイン語放送)※」に大変にお世話になったり、Baja Californiaにフランス人達と旅行したりで、メキシコに対する多少の個人的感情(親近感※※)が含まれますが、ご容赦ください。
※)サッカー中継(スペインリーグ)や日本のアニメを楽しませて頂きました。といって、スペイン語を習得できた訳ではありませんので悪しからず。
※※)ちなみに、留学当時の筆者の周辺(特に米国人学生)では「美味しい外食=メキシコ料理」でした。

例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。


0)メキシコ独立戦争の概略
メキシコ独立戦争は、スペインの植民地だったメキシコが独立するまでの約11年間(1810年~21年)の戦争。社会的不平等や植民地支配への不満が背景となり、最終的に独立国家が誕生。

1)背景(なぜ戦争が起きたか)
》当時のメキシコはスペインの植民地「ヌエバ・エスパーニャ副王領※」で、社会は厳しい階層に分かれていたそうです。
※)Virreinato de Nueva España:1519年から1821年までの、北アメリカ大陸、カリブ海、太平洋、アジアにおけるスペイン帝国の副王領を指す名称。スペイン語で「新スペイン」という意味。

》当時の階層は以下の通り。
》》ペニンスラレス:スペイン本国生まれの支配層
》》クリオーリョ:メキシコ生まれのスペイン系
》》メスティーソ:スペイン人と先住民の混血
》》先住民・黒人:最も低い地位

》特に不満を持ったのはクリオーリョおよび農民・先住民だったとのこと。

》さらに、フランスのスペイン侵攻(=ナポレオン戦争)でスペイン本国が混乱したことも、独立運動の契機に。

2)第一段階:民衆蜂起(1810年~11年)
》戦争はミゲル・イダルゴ・イ・コスティーリャ※という司祭の「ドロレス※※の叫び」から始まったそうです。
※)クリオーリョで先住民の言語を学び、農民の厳しい暮らしに心を痛めていた人物だったとのこと。
※※)メキシコ中央高地に位置する小都市。
》これは「スペイン支配に反抗しよう」という蜂起の呼びかけで、数万人の農民が参加し、グアナフアトやバリャドリード(現在のモレリア)などを占領。
》訓練不足や組織の弱さのため王党軍に敗北し、1811年にイダルゴは処刑されたとのこと。

3)第二段階:ゲリラ戦(1811年~15年)
》処刑されたイダルゴの次の指導者はホセ・マリア・モレーロス※だったそうです。
※)アフリカ系、先住民系、スペイン系の血をひく平凡な家庭の子供として生まれた人物でローマ・カトリック教会の神父。生地のバリャドリードはこの人の名前にちなんでモレリアとなったそうです。
》モレーロスはより組織的に戦い、1813年に独立を宣言したとのこと。
》さらに、奴隷制度廃止や人種平等などの改革案を提示したそうです。
》しかし1815年に捕らえられ、処刑されてしまったとのこと。その後、独立軍は地方ゲリラ戦を展開。

4)第三段階:独立の実現(1820年~21年)
》スペイン本国の革命(1820年)※が転機となったそうです。
※)1820年のスペイン立憲革命は、ラテンアメリカ独立鎮圧に向かう軍隊の反乱(プロヌンシアミエント)から始まり、1812年のカディス憲法を復活させ、ブルボン朝の絶対王政を一時的に立憲君主政へ転換させた革命。この自由主義的な改革は、1823年にフランスの介入により弾圧され、3年間の短い期間(「自由主義の三年間」)で終了。
》スペイン政府の自由主義化に対してメキシコの保守派エリートが危機感を持ったそうです。その中心人物がアグスティン・デ・イトゥルビデ※。
※)当初は独立軍を鎮圧する側であるスペイン軍の一員として闘った人物。次第にメキシコ独立軍に同情を寄せるようになったという説があるようです。
》イトゥルビデは独立派ゲリラのビセンテ・ゲレロ※と手を組み、次の(保守的な)内容のイグアラ綱領を発表。
※)クリオーリョであるものの、先祖に黒人がいたとされている人物。
》》メキシコ独立
》》カトリック保護
》》スペイン系とクリオーリョの平等
》この連合軍が首都に進軍し、1821年9月27日にメキシコシティへに入城。独立が成立。

5)戦争の結果
》メキシコは帝国(ある種の立憲君主制?)として誕生。
》政治は不安定で、皇帝の退位、共和制への移行、軍事クーデターなどが続いたとのこと。
》この不安定さは後にテキサス革命や米墨戦争へとつながったとのこと。

ちなみに、メキシコ独立時の領土には現在の以下の米国州が含まれていました。

【完全またはほぼ全域がメキシコ領だった州】
カリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州

【一部がメキシコ領だった州】
コロラド州、ワイオミング州、カンザス州、オクラホマ州

1821年当時、メキシコと米国の領土面積は約500万km²と約460万km²であり、メキシコの方が広かったようです。


次回は、もう少し寄り道をします。「メキシコで混血が進んだ理由」についてご案内する予定です。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争

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