
交通安全観音。
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつずつご案内しています。
今回は交通安全観音です。大日山瞰川寺の境内から九十九折りの坂道を登った先にあるひときわ高い丘の上に立っておられます。
坂道の入口には「志太榛原地区で交通事故により亡くなられた方々の霊を慰め、同時に交通事故の絶滅を願って地元住民や有志の方が悲願を込め建立。」と書かれた看板があります。
建立されたのは昭和四十二年二月、西暦1967年です。1970年には年間交通事故死者数が過去最多となる1万6,765人に達し、そこでピークアウトしたそうです。昭和30年代(1955年 – 1964年)以降、日本における交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、当時は交通戦争と叫ばれていたようです。その頃に小学生だった私もテレビに映った「交通戦争」の文字の記憶があります。自宅のすぐ前の道路で近所の女の子が大きなトラックにはねられたことがありました。幸い、その子は無事でしたが、、。
「交通事故の絶滅を願って」という発想は当時の悲願でしたが、交通安全観音像の御蔭か、2020年(令和2年)には統計開始以来最少の2,839人を記録したそうです。それでも一日当たり8人前後が亡くなられています。技術の進歩でゼロにならないでしょうか?
興味を惹かれるのは「霊を慰める」対象を「志太榛原地区」の交通事故死亡者としている点です。確かに、観音像の立つ位置から志太平野と牧之原台地が一望されます。交通安全観音像の視線は広域の全体に及んでいるということのようです。
さらに興味深いのは、志太榛原地区全体を俯瞰する仏像を大日山瞰川寺に建立したという事実です。大日山瞰川寺は、現在、島田市岸の住民がその護持に汗を流していますが、観音像の想いが及ぶ範囲を岸町だけに限らずより広い地域にと考えたという訳です。
交通安全観音像の建立を企画した先達のこの思想を思う時、志太平野全体を念頭に置いたその視野の広さに感銘を受けます。
再来年の2026年には交通安全観音像も還暦を迎えます。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。
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