dbme017: 大日山瞰川寺の石碑と御地蔵様(17)千手観世音 その2

大日山瞰川寺の千手観世音の右のお顔。

同じく左のお顔。

このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつずつご案内しています。

今回は千手観世音の再調査の結果です。前回はこちらです。その際の写真は遠目からの撮影でしたが、今回はお近くから撮らせて頂きました。

千手観世音の正式名称は「十一面千手千眼観世音菩薩」である旨は、前回に述べました。人々を救うために十一の顔と千の手、そして千の目を持つとされるとのこと。

取り直した写真から冠の左右にそれぞれ五面のお顔があることが分かります。本体のお顔と併せて十一面のお顔をお持ちであることが確認されました。冠の中央には立像があります。

これらのお顔については、様々な表情を表すとする他例がありますが、そこまでは確認できませんでした。

にしても、本体のお顔はとても柔和です。


台座の蓮の下には直方体の土台があります。そこには文字が刻まれていました。

正面には「礼所廿五番 為先祖代々菩提」と読める文字がありました。向かって左側の側面には「施主 河村久一」、右側の側面には「明治四十一年一月 養命寺 雪岩代」という文字が読み取れます。

明治四十一年は1908年申年でした。117年前です。土台の石は、その上の千手観世音像と蓮台座の石とは種類が大きく異なるようですので、明治四十一年は土台施工のタイミングだったと拝察されます。千手観世音像と蓮台座の建立はそれ以前と思われます。

「養命寺」は、当時、岸の谷の奥にあった寺院です。そこから石材を移設したということでしょうか?

「雪岩代」ですが、牽強付会の解釈を以下に記してみます。

平安時代後期の1124年頃に作成された金葉和歌集に中納言女王(ちゅうなごんのにょうおう)の作とされる短歌があります。

「岩代の 結べる松に ふる雪は 春もとけずや あらんとすらむ」

解釈は「岩代の結び松に降る雪は、その名の通り結ばれたまま、春になっても解けないのだろうか」とのこと。

「岩代」は和歌山県日高郡南部町岩代のことで、「結べる松」は枝を引き結ばれた松のことで旅路の無事を願うために行うそうです。その上の「雪」というのが「雪岩代」の意味ではないでしょうか?


次は千手観世音像の手を拝見することとします。

このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。

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