dbme024: 大日山瞰川寺の石碑と御地蔵様(24)明和燈籠

本堂直近の明和燈籠一対。明和5年(1768年)建立。

東側の明和燈籠の寄付者銘。

このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつひとつご案内しています。

今回は明和燈籠です。明和5年建立なので「明和燈籠」と呼ぶことにしました。

大日山瞰川寺には3対の燈籠が本堂前にありますが、この明和燈籠一対が本堂に最も近く、最も古いものです。

明和5年は1768年で、明治維新の100年前、現在(2025年)から遡って257年前です。焼失した大日堂が建立された年です。

とても精緻な彫刻が施されています。当時の石工の技巧の高さが拝察されます。

前面には「御寶〇」という文字が大きく刻まれています。〇は梵字のようです。裏面には「明和五年」とあります。

東側燈籠の東面には寄付者が刻まれています。「寄附駿州都智山」「塚本藤蔵方章」と読めます。都智山は「とちやま」で現在は「栃山」と当てています。塚本氏は道悦島の庄屋という説があります。「方章」は男子の名前のようです。「塚本藤蔵」が代々の庄屋名で、方章が寄付者自身の名前ではないでしょうか?

西側燈籠の西面にも同様の文字が刻まれています。

「隣村の庄屋さんが寄贈した」、そのことに大きな意味があるのではないでしょうか?大日山瞰川寺の大日堂の位置づけが窺われます。

さて、世界に目を転じてみましょう。1768年には2008年まで続いたネパール王国が建国されています。

また、右岸ウクライナ(ドニエプル川の右岸(西側)という意味)では正教徒のウクライナ人がポーランド政府、カトリック系貴族、ならびにユダヤ系管理者の迫害に対して起こしたコリーイの反乱(Koliivshchyna)が起きています。現代の対立構図の起源とも言えそうな事件ですね。

イギリスでは、太平洋探検の第一回航海のため、キャプテン・クック率いるエンデバー号がプリマスから出航したそうです。また、ブリタニカ百科事典の発行が始まったのもこの年だそうです。

明和燈籠はブリタニカ百科事典と同級ということになります。

このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。

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