朝永振一郎博士と島田市 007 戦前の量子力学

ディラック博士。こちらから転載させて頂きました。

朝永博士の留学先のライプツィヒ大学物理学研究所。こちらから転載させて頂きました。

ここでは、朝永振一郎博士の本来の研究課題である量子力学について当時の世界の研究の状況を整理してみます。
説明に私の力量不足が含まれていたら読者の皆様の御容赦を乞う次第です。

量子力学は、本来、顕微鏡でも見えないくらいに小さな寸法の物質に対して、その振る舞いを記述する方法として発展してきました。分子、原子、原子核といった領域が対象です。

朝永博士が京都大学で量子力学の研究を始めたころ(1929年ころ)、原子の内部構造については、つまり、原子核の外に存在する電子の振る舞いについては、前記量子力学が明解な理論を与えていました。
その集大成ともいえる著書がディラック博士(Paul Adrien Maurice Dirac 1902-1984)の1930年刊行「量子力学(原題”The Principles of Quantum Mechanics”)」だったようです。

1930年代に入ると「宇宙線」の中に様々な未知の粒子が含まれていることが発見されました。
宇宙線とは宇宙から飛来する粒子や電磁波の事です。これらの発見が「原子核の内部はどうなっているのか」に物理学者の注意を向ける契機になったようです。

例えば、プラスの電気を帯びている陽子は原子核の構成要素と知られていましたが、複数の陽子を含む原子核(=水素原子以外の原子核)では他の陽子との間に強い反発力が生じてしまい同じ原子核内にとどまることはできないはずです。
これが原子の中核にある原子核の謎でした。これらの陽子を結びつける粒子として湯川博士が「中間子」の存在を予言していましたが、宇宙線の中にそれが発見されて世界的注目を集めました。これもこの時期の出来事です。

朝永博士が京都大学の無給副手から理化学研究所の仁科芳雄研究室の助手となり(1932年)、ドイツのライプツィヒ大学のハイゼンベルク博士の下に留学した時期(1937年-1939年)、量子力学研究はこのような「後期量子力学が芽生えつつある」という状況でした。

ただ、1939年に第二次世界大戦が始まってしまったため、日本国内にはドイツを除いた海外からの研究情報は途絶えてしまったようです。逆もまた然りで、国内で独自に進んだ研究の成果も欧米の研究者の目に触れるのは戦後となってしまいました。

このシリーズはこちらに続きます。また、このシリーズの最初はこちらにあります。

コメント / Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です