朝永振一郎博士と島田市 008 超多時間理論と朝日文化賞受賞

超多時間理論の積分路が示されている岩波文庫の表紙。

朝永博士がドイツ留学から帰国し、東京大学から理学博士号を得て(1939年)、結婚(1940年)、35歳で東京文理科大学の教授となられました。
その1941年の当時、次の四つの課題が量子力学には浮上していました。東京文理科大学とは後の東京教育大学、現在の筑波大学です。

(1)因果律の破れ
(2)相対論的な共変性の欠如
(3)相互作用計算の複雑化
(4)発散(無限大の出現)

自らの研究室の立ち上げが戦時中の大変な時期に重なった訳ですが、朝永博士は大学において精力的に上記課題に取り組まれたようです。
ノーベル賞を受賞する前だった湯川博士も積極的に取り組まれていました。その様子は、湯川博士や朝永博士を中心とする国内の精鋭が集う研究会が理化学研究所において高頻度に開催されていたという事実から伺い知れます。

そのような中、1943年に朝永博士の「場の理論の相対律的定式化」という論文が理化学研究所の彙報(いほう)という専門誌(というよりも理化学研究所の機関誌)に発表されました。
この論文の中で「超多時間理論」が提唱されましたが、上記の(1)(2)(3)を解決してしまうという驚異的な内容でした。

この論文が英訳されたものが戦後の1946年に「Progress of Theoretical Physics」誌に掲載され、欧米の研究者たちの耳目を集めました。
この英文論文が内外で引用されることが多いため、朝永博士の超多時間理論を戦後の研究と考える向きもおられるかと考えますが、実際は戦時中に発表された研究成果です。

この業績は「中間子理論の発展と超多時間理論」として戦後すぐの1946年度朝日文化賞の受賞対象となっています(受賞時期は1947年かもしれません)。

また、彙報論文の受理は1943年4月であり、この時期の朝永博士はまだ島田を訪れておられません。従って、この研究成果と島田の地縁は「無い」と結論されます(島田研究所の幹部との交流はあったようですが、、、)。
他方、(4)の解決を後に与えた「繰り込み理論」、これはノーベル賞の受賞理由となった研究成果ですが、1943年4月以降の研究対象と考えられます。南部博士も「1943年 ごろから超多時間理論の発展を始め、、」と記されています。
そして、その期間には朝永博士の島田単身赴任が含まれます。本論ではこの部分の深掘りを進めてゆきます。

なお、朝永博士は(1)~(4)の解決を見た研究成果を一連のものと考えておられたようで、1966年のノーベル賞受賞講演では繰り込み理論だけではなく超多時間理論についても説明をされています。

このシリーズはこちらに続きます。また、このシリーズの最初はこちらにあります。

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