krs08: 「喧嘩両成敗」を考える (8:最終回) 外国の例

Board of Peace(平和会議のロゴ)。こちらから転載させて頂きました。

2026年元旦に「喧嘩両成敗」のことを考え始めました。が、予想以上に深い内容となったので、分割することにしました。

前回は、江戸時代に実際には生じなかった「薩摩藩の隣藩への武力行使」に対する展開と幕府の対応についてシミュレーションを実施した結果を記しました。

江戸幕府の中心である老中と評定所のグリップが効いている江戸前期であれば、喧嘩両成敗の原則が有効で、雄藩の薩摩であっても自重せざるを得なかったことが分かりました。

19世紀に入って江戸幕府のグリップが緩んでくるとそうもいかず、各藩、特に雄藩が武力を問題の解決手段として選択することが許されてしまったようです。
⇒現代の国際連合の状況に似ているかもしれません。


さて、今回は「喧嘩両成敗」という考え方が他国にもあったかどうか、を見てゆきたいと思います。

例によってChatGPTに質問する形で調査しました。ただし、「藩同士」に相当するものではなく、「個人間」に関する争いごとが対象です。

その結論を先に述べると、「喧嘩両成敗」に近い発想は日本固有ではなく、世界各地に独立して存在するそうです。ただし、日本ほど明確に制度化・理念化された例は比較的まれとのことです。

以下、考え方のタイプ別に整理して説明してみます。

1)日本の「喧嘩両成敗」の特質
》比較のための基準点として日本の特徴を簡潔に整理したものを記します。
》》起源:室町時代(15世紀)
》》特徴:勝ち負け・正邪を細かく問わない、紛争そのものを「秩序破壊」とみなす、当事者双方を処罰
》》背景:自力救済(私闘・報復)の抑制、武士社会の治安維持、中央権力が弱い中での統治技術
重要なのは「争った時点で両方が悪い」という発想が明確に打ち出されている点なのだそうです。

2)古代・中世ヨーロッパの場合
》 古代ローマ法
》》原則:責任は個別に判断
》》例外として、公共秩序を乱した場合は双方処罰となり、群衆暴動では「参加者全員が罪」という場合があったようです。
》》 しかし、「喧嘩したから両方同罪」という一般原則は存在しなかったとのこと。

》中世ヨーロッパ(ゲルマン法・慣習法)
》》日本と似ていた部分があったようです。
》》私闘(フェーデ Fehde)は合法な場合もあった
》》しかし、無秩序な私闘は禁止される方向であり、領主の許可なき暴力は処罰対象だったそうです。
》》 重要な点として、「勝者も処罰される」ことはあったようです。ただし、処罰の理由は「秩序を乱したから」であり、日本ほど「双方一律」という思想ではないそうです。

》近世ヨーロッパ(16~18世紀)
》》決闘(デュエル)は原則として違法
》》多くの国で決闘参加者双方が犯罪者とされ、勝敗に関係なく処罰されたようです。
》》 これはかなり「喧嘩両成敗」に近いようですが、対象は特定行為(決闘)に限定されていたとのこと。

3)中国世界の考え方
》 中国法(唐律・明律・清律)
》》基本原則:是非曲直※を厳密に区別
※)物事の「良い(是)ことと悪い(非)こと」、「正しい(直)ことと曲がっている(曲)こと」の正邪、善悪を意味する四字熟語。
》》ただし実務では争いを起こした双方を処罰し、「互殴(ごおう)」は双方有罪としたそうです。
》》例:唐律には「闘毆」条があり、先に手を出した者が重罪とし、反撃した側も処罰(軽く)されたとのこと。
》》日本の「完全な両成敗」とは異なり、「両方悪いが、度合いは違う」という方式だったようです。

4)イスラーム法世界
》》原則:故意・過失・正当防衛が厳密に区別されたとのこと。
》》ただし、私的報復(血讐)を抑制する思想もあったそうです。当事者双方に賠償責任が生じる場合もあったとのこと。
》》和解や補償を重視する思想により両成敗というより「調停型」だったそうです。

5)世界的に見た日本の独自性を総括
》まとめると:
》》「喧嘩両成敗」は世界的に見て珍しいほど徹底した思想であり、特に勝敗・正邪を問わず、原則として一律処罰であり、長期間(室町→江戸)にわたり安定運用された点は注目される。
》》これは、自力救済を極度に嫌う社会構造※、武士階級による地域支配、「秩序>正義」という価値観が結びついた、日本的統治思想の結晶と言えるそうです(ChatGPT)。
※)自己責任を過度に主張する向きは保守からはかけ離れているということになりますか?


現代世界の紛争に日本の「喧嘩両成敗」の思想が、将来的に、役立つかもしれないと考え、このシリーズを始めてみました。

筆者としての結論は以下の通りです。異論は認めます※ので、どうぞ叩いてください。
※)筆者は、以前、上から「反論を認めない」と強く言われたことがありますが、議論を深めることを阻止するその流儀は(絶対に)採用しません(笑)。

ア)喧嘩両成敗の原理的な考え方は日本特有の可能性があり、世界的には新規性がある。その分、世界の紛争抑止に対して新潮流をもたらす可能性がある。
イ)ただし、強力な権威の存在が無くては秩序優先は維持されない。老中や評定所の力が落ちた幕末の状況にそれが示唆される。
ウ)トランプ大統領が提唱する「平和会議/平和評議会」はその権威を獲得できるでしょうか?

》》》》このシリーズはこれで一区切りです。お付き合い下さり、ありがとうございました。

また、このシリーズの初回はこちらです。 

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