
ツポレフTU154旅客機。この写真でもお尻が重そうに見えます。こちらから転載させて頂きました。
このシリーズでは、私がサンクトペテルブルクの国際会議に出席した際に目にしたロシアのいくつかの事柄をご案内しています。
今回は日本の成田空港からサンクトペテルブルクの空港までの移動について述べます。
当時、成田空港からサンクトペテルブルクへの直行便はありませんでした。
私はアエロフロートのモスクワ経由の便を選びました。
その頃のアエロフロートの機内サービスについては、否定的な情報がネットに飛び交っていましたが、幸いなことに、私の便では標準以上でした。成田からモスクワまでの機体はエアバスだったと記憶しています。
入国審査はモスクワでした。
モスクワ空港は更新されたばかりだったので、どこもかしこも新品でした。到着時刻の時間帯のためか、空港が急に拡張されたためか、理由を記憶していないのですが、空港内は閑散としていました。
それゆえ、自分自身で乗り継ぎ便ターミナルを探す必要に迫られました。人の流れに沿って歩くことができなかったためです。
ロシア語に不案内な身としては「困ったな」と感じましたが、英語の標識がそこかしこに在ってそれを頼りにすることができました。
何よりも、空港の職員の方々が親切に接してくれたことが強く印象に残っています。一人の方は目的地まで私を連れて行ってくれました。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、カナダ、韓国、そして日本。これらの国々の国際空港で道に迷ったことが多々あり、空港の様々な方々に「すみませんが、、、」と頭を下げて道を尋ねたことも数多くありました。
ですが、モスクワ空港での職員の方々の対応に勝った経験は、残念ながら、ありませんでした。2014年のソチオリンピック、2018年のサッカーワールドカップを控えて、外国人対応の襟を正していた時期だったのかもしれませんが、、、。
すこしわき道にそれますが、私が経験した最悪の空港対応は米国フィラデルフィア空港です。
日本からボストンへの直通便に乗っていたところ、ボストンが大雪で空港閉鎖。
フィラデルフィア空港に緊急着陸しました。機内では「窓口〇〇に行け」との指示でしたが、入国審査と税関を終えた時にはその窓口が既に閉まっていました。
やっと見つけた航空会社の職員に食い下がりましたが、空港に泊まれと言わんばかりに逃げられてしまいました。空港内はほぼ無人です。しかも寒い。
公衆電話からいくつかのホテルに電話して宿泊可能な部屋を探し出し、タクシーでそこに向かいました。野宿は何とか回避できました。
フィラデルフィアでも降雪があったようですが、道路の状況は落ち着いていて、ホテルに到着。
翌朝、空港に戻り、昨日の経緯からボストン便を優遇してくれるかと思いきや、ターミナルで2便ほどやり過ごし、、という具合でした。
とはいうものの、JAL機に乗っていて予定の成田へは台風直撃のために着陸できずに関空へ緊急着陸した際も似たような冷たい対応だったので、「そんなもんか」ではありますが、、(JALの名誉のために補足します。担当者は最後まで乗客に対応しておられました)。いずれにしても、「緊急着陸が選択された時点で相当の覚悟が必要」が教訓となりました。
モスクワ空港での乗り継ぎは無事に行われ、ロシアの国内便でサンクトペテルブルクのプルコヴォ空港に到着しました。記憶が定かではないのですが、機体はツポレフTu-154だったと思われます。
かなり古い機体でしたし、垂直尾翼の近くに3基のジェットエンジンが装備された旅客機に乗るのは初めてだったので、多少緊張しました。主翼の下にジェットエンジンというのがそれまで慣れ親しんだ機体構造だったためです。
見た目のバランスの悪さ(お尻が重そうでした)と全長に対して短すぎると感じた主翼が気になりました。ジェットエンジンが客室に近すぎるのも不安で、万が一の場合には、、と心配症は考えたわけです。が、それらは杞憂でした。
今では「古い機体には安全の実績が蓄積されている」ということと理解しています。サンクトペテルブルクのプルコヴォ空港からはタクシーでホテルに無事到着しました。
往路の印象が強すぎたためか、復路の記憶があまり残っていません。「行きはよいよい、帰りは怖い」の真逆で、往路では初めてのロシアということで緊張が過ぎ、復路では「訪れるには悪くない国」という印象に安心感があったためかと思われます。
このシリーズはこれで終了します。最後までご高覧頂き、ありがとうございました。なお、 このシリーズの最初はこちらです。
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