
東大寺の大仏殿。こちらから転載させて頂きました。
このシリーズでは世界の様々な科学技術アカデミーを紹介してきました。
その調査の中で疑問に思ったことがひとつありますので、今回はそれを論考してみたいと思います。
その疑問とは「幕末に至るまで日本に科学技術アカデミーが無かったとするのは何故か?」です。
幕末に至るまでの日本の科学技術が後進的だったとは考えにくい事実があります。下記のような点です。
1)仁徳天皇陵や芦ヶ池水路の建設技術。
2)奈良時代に東大寺やその大仏を建設した巨大木造建築技術や金属鋳造技術が存在。
3)信玄堤などの治水技術は日本の急流に対策する独自技術。
4)安土桃山時代の金産出量増大は技術革新の賜物。
5)玉川上水や利根川東遷(江戸時代初期)、大井川瀬替え(天正年間)は西暦1600年前後の大工事。
これらの技術が陰陽師や徒弟制度だけで引き継がれたとは考えにくいのではないでしょうか?
あるいは、平安時代の藤原氏や平家、江戸時代の徳川政権など、権勢を誇った人々が科学技術アカデミーの設立に関心を持たなかったのでしょうか?織田信長は外国との交流に関心を示したようですが、同世代のオランダ国王が大学を設立したことに倣う考えはなかったのでしょうか?
科学技術は存在していたのに、アカデミーの設立が無かった日本。これを日本の特殊性と考えざるを得ません。
その理由に対する私の推論は以下の通りです。
ア)古来、「(思想と)科学技術は中国から渡来するもの」という固定観念が強すぎて、「自ら開拓するのではなく果報は寝て待つ」がDNAに刷り込まれてしまった。
イ)海に囲まれた地政学的要素のために国防に科学技術を利用する考えが為政者に薄かった。
ウ)江戸時代の地方分権政策が強すぎて、各藩の科学技術アカデミーの規模が不十分だった。
エ)実は科学技術アカデミーは存在していたが、歴史修正主義者が権力を握ったために、何らかの理由で歴史から消されてしまった。
オ)インド式(≒仏教式)の徒弟制度が十分に機能していたのでアカデミーが不要だった。
カ)その他
皆さんはどう考えますか?
⇒さらなる番外編はこちらです。
このシリーズの初回はこちらです。
コメントを残す