
島田市の岸町にある大日山瞰川寺は、「村民の村民による村民の為の寺院」という位置付けが強い、かなり異色の仏教寺院です。
今回は、瞰川寺本尊の大日如来が未(ひつじ)年生れと申(さる)年生れの守り本尊とされる理由について考えてみたいと思います。
まず、一般論から。例によってChatGPTに尋ねる形で調べました。
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「守り本尊」とは、日本の寺院で広く見られる 「十二支守り本尊(干支守り本尊)」 の信仰に由来するそうです。
平安時代以降、特に密教系寺院(真言宗・天台宗)で発達した考え方で、生まれ年の干支ごとに守護仏(本命仏)が定められているそうです。
代表的には次のようになります。
干支 守り本尊
子 千手観音
丑・寅 虚空蔵菩薩
卯 文殊菩薩
辰・巳 普賢菩薩
午 勢至菩薩
未・申 大日如来
酉 不動明王
戌・亥 阿弥陀如来
ただし、大日如来を本尊とする寺院が数多くあるものの、すべてが未申守護寺として著名なわけではない※そうです。
※)本稿末尾および上掲イメージをご参照ください。
従って、大日山瞰川寺の大日如来が未・申の守護として広く知られている事実には更なる由縁が必要と考えられます。
また、大日山瞰川寺には千手観世音と阿弥陀如来の石像もありますので、未・申だけではなく子・戌・亥の干支の守護であっても不思議ではないと考えられます。
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さて、ここからは筆者の推論です。
大日山瞰川寺の堂宇建立は1706年に建立発願されたそうです。そして、1713年に田中城裏鬼門除けとしての建物が完成したとのこと。
当時の田中藩城主は内藤弌信(かずのぶ)という人で、大坂城代に栄転する直前の出来事だったようです。
この「裏鬼門除け」が要点となります。
大日山瞰川寺は大日如来を本尊とする寺院という位置付けだけでなく、田中城の裏鬼門(坤(こん)=未申)を守る寺という機能も期待されていたということになります。
これは未申方位そのものに直結しているそうで、鬼門・裏鬼門思想では、
・鬼門 = 丑寅(北東)
・裏鬼門= 未申(南西)
となります。
実際、地図で確認すると大日山瞰川寺は田中城の南西方向(から少し北にずれていますが、、)に位置します。
よく知られているように、江戸城の鬼門(北東)を封じる役割は寛永寺や上野東照宮、裏鬼門(南西)には増上寺や日枝神社が置かれました※。
※)日枝神社は江戸城天守閣のほぼ南西に位置しますが、増上寺はかなり南寄りです。この程度の誤差は許容範囲内と思われます。
田中城も然りということです。
この「裏鬼門に当たる未・申の方角を護る」という考え方が「未・申の守護」という思想を強化させ、現在に至っている可能性があります。
江戸城裏鬼門封じの増上寺の本尊は阿弥陀如来で未・申の干支守り本尊ではありません。
対して、大日山瞰川寺の場合は大日如来という本尊と田中城裏鬼門封じとの相性が特別に良いということになります。
古くから岸村に伝わる大日如来像に田中城関係者が着目し、裏鬼門守護と結び付けたのか、岸村首脳陣がその関係を田中城城主に訴えて堂宇建立を発願したのか、興味が尽きません。
筆者の推論の裏付けを求める作業がこれから始まります。古文書などでよい資料が見つかるとよいのですが、、。
【補足:大日如来と未・申の関係】
「未(ひつじ)・申(さる)の守り本尊=大日如来」という考え方は密教系寺院で広く受け入れられているものの、実は寺院側が前面に打ち出している例はそれほど多くないそうです。
これは、大日如来が単なる「干支ごとの守護仏」ではなく、宇宙そのものの真理を象徴する密教最高位の仏であると位置づけられているためのようです。
よって、真言宗系寺院では本尊が大日如来であっても、「未・申の守り本尊」と強調するより、「すべての人を包摂する根本仏」として位置づけるのが一般的とのこと。
代表的な寺院としては、次のような例が挙げられるそうです。
・金剛峯寺
真言宗の総本山。寺院全体の教義的本尊は大日如来ですが、「未・申の守り本尊」という説明はほとんど見られないそうです。高野山では、大日如来は両界曼荼羅の中心に位置する宇宙仏として理解されるとのこと。
・東寺
正式名称は教王護国寺。講堂の立体曼荼羅では、大日如来が中心に安置されているそうです。しかし、参拝者向けの案内でも、干支との関係より「空海が伝えた密教世界の中心仏」として紹介されることがほとんどだそうです。
・円成寺
運慶作の国宝・大日如来坐像で知られ、大日如来信仰の寺院ですが、干支の守り本尊としての側面は強調されていないとのこと。
・大日寺 (徳島県板野町)および大日寺 (香南市)
いずれも本尊は大日如来。四国八十八箇所の第四番札所および第二十八番札所。干支の守り本尊としての側面は強調されていないそうです。
そもそも「干支守り本尊」の考え方が現在のように広く普及したのは比較的新しく、江戸時代以降に民間信仰として整理・普及した側面があるそうです。
一方、真言密教の本来の教義では、「すべての仏・菩薩は大日如来の顕れである」と考えるため、寺院側から見ると、「未年・申年の人だけの仏」という限定的な説明は、大日如来本来の普遍性を狭めてしまう面があるようです。




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