
庚申塚の上部。最高部に卍が刻まれています。

二匹の猿。互いに何かを持っています。
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑と御地蔵様をひとつひとつご案内しています。
今回は庚申塚の2回目です。再調査の結果をお知らせします。
前回は庚申塚に刻まれた二匹の猿を主にご案内しました。再調査の際に正面をよくよく眺めてみると、猿の他に文字が刻まれていることが分かりました。
まず、中央最上部には「卍」が刻まれています。
卍は江戸時代には「仏教に由来する吉祥のシンボル」として扱われたそうです。庚申塚は中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことをいうそうですが、大日山瞰川寺の庚申塚は仏教との関連性が強かったことを明示しているようです。
その下には少し凹んだ部分とその周囲の枠の部分があります。
右側の枠に刻まれた文字は「〇〇寛文元〇〇」と読めます。もしも、これが寛文元年を意味するのであれば、西暦1661年です。
1661年にはいろいろな出来事があったようです。国内では徳川光圀が水戸藩の第2代藩主となりました。黄門様です。
中国では中国歴代最高の名君とされる康熙帝が即位しました。台湾では鄭成功(日本名は田川福松)がオランダ勢力を倒し、台湾に鄭氏政権を樹立したそうです。
この年に庚申塚が建立されたとすれば、2025年は364年後に相当します。
枠内には縦8行の文字が刻まれています。原、目、衣、奉、結などの文字が判読できますが、大半は消えかかっています。
次に、二匹の猿です。
よくよく見ると、それぞれが両手で何かを持っています。
左側の猿は両手を大事そうに捧げています。その先にあるものは何でしょうか?玉のようにも見えます。とすると、庚申講は夜におこなうものなので日輪ではなく月輪でしょうか?月輪(がちりん)は熱や毒を消す宝の珠なのだそうです。
右側の猿が持っているのは両手に溢れる長いもので、その端を左手でつかみ、右手を膨らんだ部分に添えています。筆者の眼には蓮華ないしは五色雲のように見えます。五色雲は、吉祥の兆しや仙人・天女が遊ぶ場所、または仏教における西方極楽浄土への往生を意味するそうです。庚申講の趣旨と合致するように思われます。
あるいは、紅蓮華(ぐれんげ)でしょうか?天上に通じる慈愛の象徴とのことです。としても、まだつぼみの状態と窺われます。
また、猿たちの上部にも何か文字ではないものが刻まれているように見えます。筆者の眼には羽を広げた鳳のようにも見えるのですが、間違っているかもしれません。
いずれにしても、かつてはとても精緻な加工がされていたと想像されます。江戸時代の岸村の技巧には脱帽です。
庚申塚については、今後の再々調査でより深い考察を進める所存です。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。
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