
照明を工夫した撮影で浮き上がった刻印文字を解読した結果(一部)。
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑石像と建築物をひとつひとつご案内しています。
今回は善光寺巡礼記念碑の二回目です。初回はこちらにあります。
昼間の肉眼では全く見えない文字が、昨年大晦日の深夜の撮影で浮かび上がりました。工夫を加えた照明の下で行いました。
全てが解読できた訳ではありませんが、正面の中央行の刻印文字が判明してきたので、ご案内させて頂きます。
上掲の写真が途中結果です。黄色の文字は「判読結果にある程度の自信」を表し、水色の文字は「おそらく」レベルです。
現時点で「善光寺」の文字は認められていませんが、「順礼」は間違いないと考えています。
ここで、中央行の文字を追ってみます。
「光三南無大悲観世音菩薩」と読めました。
中心軸がずれていたり、文字の大きさが不ぞろいだったりしていますが、一般的に刻印文字が風化した際にはこのようなことがあるようです。
刻印の際の刃物の深さや方向にばらつきがあれば、、という観点から理解可能と思われます。
さて、「善光寺巡礼」という観点から文字列の意味を考えてみましょう。
筆者は善光寺に参詣したことがありますが、御開帳とは無縁の時期でしたので、その本尊の詳細を知りません。ChatGPTに尋ねたところ、善光寺の本尊は「一光三尊」なのだそうです。
一つの大きな光背(こうはい)の中に阿弥陀如来(中尊)と、その両脇に観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と勢至菩薩(せいしぼさつ)の三尊が並んだ仏像の形式だそうです。特に善光寺の秘仏本尊を指し、「善光寺式阿弥陀如来像」とも呼ばれるとのこと。
では、大日山瞰川寺の善光寺巡礼記念碑に「阿弥陀如来」ではなく「観世音菩薩」が中心文字列として刻まれたのは何故なのでしょうか?
これを推測するためには、江戸時代の庶民の動向に注意する必要がありそうです。
江戸時代の民間信仰では「阿弥陀如来=根本の救済原理(極楽往生の保証)」であり「観世音菩薩=この世で人々を直接救う存在」であるという理解が広く共有されていたようです。
江戸時代の庶民にとっては、抽象的な「阿弥陀の本願」や死後の極楽往生よりも、苦しみの声を聞く、すぐに手を差し伸べる観音のイメージの方が圧倒的に具体的だったようです。
その結果として、「善光寺参り=観音詣」であり称名も「南無阿弥陀仏」だけでなく「南無大悲観世音菩薩」が多用されるという実態が生まれたようです。
また、善光寺の「一光三尊」では、一つの光背に三体が密着して立っており、観音が阿弥陀のすぐ脇に立つという造形です。これにより、観音は阿弥陀と分離できないため「観音を拝むこと=阿弥陀を拝むこと」という理解が生まれたそうです。
すなわち、「観音に祈れば、阿弥陀に通じる」という非常に分かりやすい信仰の回路が形成されたようです。
なお、冒頭の「光三」という文字の解読妥当性は高くないようなので誤読の可能性を含めた考察を深めてゆく所存です。
解読がさらに進んだところで改めてご案内する予定ですが、慎重に行っていますので時間が掛かるかもしれません。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。
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