imgw02: 駿河國守護 今川 02 今川基氏の遠江進出

浜松市元城町東照宮内にある曳馬城跡の石碑。「曳馬=ひくま=引間」。今川氏の遠江の足掛かりとなった荘園のあった場所です。こちらから転載させて頂きました。

このシリーズでは島田に縁深い今川氏の源流に遡った論考を進めています。

今川氏の祖と言われる今川国氏、初めて「今川」を名乗った人ですが、前回はこの国氏が地頭だったというところまで論考しました。

その国氏の嫡男が今川基氏(1259-1323)です。鎌倉時代の後半の武将です。

1274年(文永11年)と1281年(弘安4年)の2回の元寇のうち、後者の弘安の役の際は22歳でしたので、九州に出兵していたかもしれません(弘安の役に出兵した御家人は主として九州からのようですが、、)。

その4年後の霜月騒動(1285年)では戦功があって、第7代鎌倉将軍の源惟康より遠江国引間荘を与えられたそうです。引間荘とは現在の浜松市の市街地に該当し、もともとは吉良氏の荘園だったようです。

これにより三河國に興った今川氏が遠江に進出する足掛かりを得たようです。

基氏には5人の息子(頼国、範満、頼周、法折、範国)がいて、この子供たちの代に今川氏の活躍と発展が顕著となるそうです。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの第一回目はこちらです。

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