
メディアリテラシーの必要が巧妙に表現されています。こちらから転載させて頂きました。
「オールドメディアvsSNS」が注目される昨今です。
そのような中、個々のニュースや報道についてその真偽の見極めが各個人にも求められるはずです。
今回はその見極め能力「メディアリテラシー」について考えてみます。
米国の批判的な人はオールドメディアを「会社メディア」と呼ぶこともあるようです。
本来であれば、記者個人の価値観や中立感に忠実な内容が、その記者の責任において報じられるべきところを、会社と記者との雇用関係や組織の論理などがそれを阻害するという意味が込められているように思われます。
私はメディア論の専門家ではありません、決して。従って、総体的な考察はできません。が、個人として気を付けていることはあります。
第二次世界大戦でNHKのアナウンサーが連呼した「大本営発表、、、、」のみを信じてしまった愚を、自分は繰り返したくないというのが動機となっています(NHKは放送100年と言っておきながら、「大本営発表、、、」を振り返ることはないようですが、、)。
以下に注意点を列挙してみます。
(1)争いごとについて一方のみの立場や主張を伝える報道は信用しない。
⇒両者の言い分を天秤にかけるのが基本です。その天秤の性格についても説明すべきです。
(2)「アメリカが、、、」「中国が、、、」という表現を用いる報道は信用しない。
⇒日本人にも様々な人がいます。思想も立場も多種多様です。それを「日本人は、、」とひとまとめに言われるのは心外と感ずるのは私だけではないはずです。同様に、人口3.4億人のアメリカ、人口14億人の中国、これらの国の国民が一様であるはずがありません。「アメリカの〇〇が、、、」「中国の〇〇が、、、」という表現が最低ラインでしょう。その他の国々や大きな組織についても同様です。ただし、明確な責任者が立場を明らかにして発言ないし文書発表している場合を除きます。
(3)「報道しない」に気を付ける
⇒これはよく指摘されていることです。多方面から吟味すべき対象に対して、その一面ないし二面のみを論ずるメディア。そこには他の面を隠す動機があるはずです。その偏向の動機に注意すべきです。
(4)街角インタビューは信用しない
⇒会社メディアによく登場する街角インタビューでは、インタービュー相手の選択、およびその撮影結果の選択に必ずそのメディア会社の意図が入ります。中立を表してもいないし、目指しているとも思えません。
(5)ロリータ報道は信用しない
⇒幼年時の子供が報道対象に対して自分の表現を持つことは稀です。多くの場合、親が喜ぶ発言を試みます。子供の映像は、確かに、可愛いのですが、発言が真実を含むと考えない方が無難です。
(6)記者クラブ発の報道は基本的に疑う
⇒会社の力学に加えて記者クラブの力学が重畳されるためです。「大本営発表、、、」の第一歩を踏み出していると考えられます。真実のみを、あるいは伝えられない部分を読み取る力量が必要となります。
(7)BGMのある報道は内容を疑う
⇒音楽を聴きながらの報道分析は道を危うくします。判断に偏向をもたらします。BGM挿入には報道作成側の作為があるものと考えるべきでしょう。
(8)訂正や修正の甘いメディアは信用しない
⇒報道における間違い撲滅に対する真剣度が普段から低いものと考えられます。そのようなメディアに対してはマイナス50点から評価を始めるのが妥当でしようか。
(9)外国語の発言を字幕のみで伝える報道は信用しない
⇒翻訳に意図がはいることは皆無ではありません。時には正反対の意味を伝えることもあるようです。実際の音声も流すべきです。また、声優の日本語で代替する報道も全く信用できません。実際の音声が消えますし、声優の選択に偏向が入る余地があります。
(10)「〇〇とされます」「〇〇と思われます」は信用しない
⇒アナウンサーが伝えるニュースによく現れる表現です。「〇〇」と「する」のは、あるいは「思う」のは、誰なのかが全くわかりません。アナウンサーがそのように結論したり想起したりするのであれば、そのニュースの真偽はアナウンサーの責任になるはずですが、おそらくはそうではありません。無責任報道の筆頭と考えるべきでしょう。これを言わされるアナウンサーが気の毒です。その時のアナウンサーの顔が、心持ち、暗くなると見ているのは私だけでしょうか?
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