nam11:連載「狭量について」11_不寛容と国力減退1

(抜粋)「若くない」国を対象として、「かつては良かったのに、、」から陥落した例、すなわち、小国主義の弊害が表出した例を求めてみました。

パガン朝(849~1297年)の首都であった現在のバガン(ミャンマー)におけるパゴダとチャウン(僧院)。日本の平安時代に相当する時代の仏教建築物が現存しているそうです。こちらから転載させて頂きました。
イラクのカルバラーにあるイマーム・フサイン廟。シーア派三代目イマームのフサイン・イブン・アリー(626~80年)のモスクだそうです。日本で言えば天武天皇の時代。こちらから転載させて頂きました。
ネルソン・マンデラ氏が、全人種参加による初の民主選挙で投票する瞬間を捉えたイメージ(1994年4月27日)。こちらから転載させて頂きました。
19世紀に描かれた「モリスコの追放」(ガブリエル・プッチ・ロダ作)。こちらから転載させて頂きました。

 昨今、「狭量」と評するほかにないという人物、特に著名人が散見されます。

 そこで、改めて「狭量」を本連載で考えてみることにしました。


 前回は、「原理主義や排外主義は小国主義に等しい」と考え、「大国主義の反義語」という机上の理屈から「大国化を否定した国家運営」をしている例が実際に無いものか、、、と考えて調査した結果をご案内しました。

 トルクメニスタンとエリトリアを対象としましたが、両者とも自らよりも大きな国からの独立を果たした歴史を有しており、独立から40年も経っていない若い国でした。

 従って、「大国を目指す」ことよりも国内の安定や隣国との関係を優先する必要がある上に、鉱物資源により外貨獲得手段もあることから、人的閉鎖性を選択しているということが分かりました。

 つまり、両国の人的閉鎖性は若い国の戦略的なものと考えることができそうです。


 そこで、調査方針を変更することとしました。

 「若くない」国を対象として、「かつては良かったのに、、」から陥落した例、すなわち、小国主義の弊害が表出した例を求めてみました。

 例によってChatGPTに質問する形で調査しました。

 出発点となる質問は「民族や宗教について不寛容に過ぎたために国力が減退した例はありますか?」でした。

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0) はじめに
 民族や宗教に対する不寛容が国力を損なった事例は、歴史上いくつもあるようです。

 ただし、因果関係を考える際には、「不寛容が国力を低下させた」のか、それとも「国力が低下する過程で不寛容が強まった」のかを区別する必要があるそうです。

 現代社会の事例を考えるなら、国力を単にGDPや軍事力だけで測るのではなく、次のような要素に分けると見通しがよくなるとのこと。

・人的資本:教育を受けた人、専門家、研究者を国内にとどめ、能力を活用できるか。

・経済的な生産力:労働力、起業、投資、貿易などを維持できるか。

・国家の統合力:異なる民族・宗教の住民が、共通の制度の下で協力できるか。

・制度への信頼:法の適用や行政サービスが、民族・宗教によって不公平にならないか。

・国際的な影響力:人材や投資を引きつけ、他国との協力を維持できるか。

 この観点から、現代に比較的近い事例と、現在への教訓が明瞭な歴史的事例を挙げることできるそうです。

1)ミャンマー
 「ロヒンギャ排除による人的資本・経済活動の損失」

 ミャンマーでは、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャ※が、国籍の否定や移動・婚姻などへの制限を含む差別を受けてきたそうです。
※)ミャンマー総人口5500万人※※に対して120万人前後が弾圧前のミャンマーに居住していたそうです。全人口の2~3%の人々を「敵」とすることは軍や政治勢力にとって政治的な利益があったようです。
※※)韓国、イタリアなどと同規模の人口です。

 世界銀行は、ロヒンギャの人々が無国籍状態や制度的差別に置かれることで、仕事や市場へのアクセス、教育・医療などの基本的サービスを利用する機会が制限されていると指摘しているとのこと。

 国力への影響は、少数民族を排除すること自体の人道的問題にとどまらないようです。

・働く場所や移動を制限すれば、労働力を十分に活用できない。
・教育や医療へのアクセスが阻害されれば、将来の生産性も低下する。
・住民間の不信と武力衝突が続けば、投資や地域経済の回復が難しくなる。

 ただし、ミャンマーの経済危機全体をロヒンギャ差別だけで説明することはできないそうです。

 軍事クーデター※、内戦※※、政策の混乱なども大きな要因。
※)1962年と2021年。
※※)2021年以降に抗議運動から全国的な武装闘争へ戦火が広がってしまったそうです。

 世界銀行も、紛争による避難、雇用・所得の喪失、教育・健康への投資の減少が、長期的な成長を損なうとしているそうです。

 ここから得られる教訓は、国民の一部を社会参加から締め出す政策は、その人々だけでなく、国全体の生産力まで損なう可能性があるということだそうです。

2)イラク
 「宗派による排除が国家の統治能力を弱めた事例」

 2003年のイラク戦争後、旧サダム・フセイン政権の排除に伴い、旧バアス党※関係者の追放や軍・治安機関の解体が進められたそうです。
※)バース党は、建前として宗派を超えたアラブ人の統一を目指したものの、実際にはサダム政権が親族や出身地域などの人的ネットワークを重視したため、スンニ派アラブ人を中心とする権力構造が形成されたそうです。なお、イラクではシーア派が約6割、スンニ派が約3割とのこと。イラクの総人口は4700万人で、スペインと同規模です。

 旧体制の抑圧を清算する必要性はあったものの、実施方法はスンニ派アラブ住民に不均衡な影響を与え、多くの人々が新しい国家から政治的・経済的に排除されたと感じる結果になったそうです。

 この事例で重要なのは、単に宗派間の対立が激しくなったということではないそうです。

・行政能力の低下:経験を持つ公務員や軍人を広範囲に排除し、国家機能の維持を難しくした。

・正統性の低下:一部の住民が国家を自分たちのものと認めにくくなった。

・治安の悪化:政治参加からの排除が反政府暴力への動機を強め、治安悪化がさらに国家再建を困難にした。

 研究では、こうした排除が国家の統治能力、宗派間関係、安定性を損ねたと分析されているそうです。

 もっとも、イラクの不安定化には、米国主導の占領政策、旧体制の遺産、武装勢力の活動、地域大国の介入なども関係しているとのこと。

 したがって、これは「宗教的不寛容だけが国家を弱めた」という例ではなく、宗派を基準に政治的な敵味方を分ける制度設計が、国家の統合と行政能力を傷つけた例と理解するのが適切とのこと。

3)南アフリカ
「人種による排除が経済と国際的地位を損なった事例」

 南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)※は、宗教ではなく人種を基準とする排除の事例ながら、民族的不寛容が国力に及ぼす影響を考えるうえで重要。
※)現在の南アフリカの総人口は約6300万人で、白人はその7%の450万人。南アフリカの人口と同規模の人口を有する国はイギリス、フランス、タンザニア、イタリアなど。

 多数派である黒人住民の政治参加、居住、教育、職業選択などを制限した制度は、能力を発揮する機会を人種によって左右したそうです。

 国内の人材育成を妨げるだけでなく、社会の分断と政治的抵抗を深め、国際的な制裁や孤立にもつながったとのこと。

 世界銀行の研究は、アパルトヘイト期の教育制度の問題と、熟練労働者の国外流出が、民主化後の南アフリカの開発にとっても課題となったことを指摘しているそうです。

 この例では、国力の損失は少なくとも三つの経路で生じたそうです。

(ア)能力の浪費:人種によって教育や職業へのアクセスを制限することで、社会全体の技能形成を妨げる。

(イ)社会的コストの増大:差別への抵抗と治安維持に多くの資源が必要になる。

(ウ)国際関係の悪化:人種隔離への反発が、外交・貿易・投資環境に影響する。

 ただし、制裁の影響や経済停滞をアパルトヘイトだけで定量的に説明するのは困難とのこと。

 ここでのポイントは、人種的な優位を維持するための制度が、国民全体の能力を活用するという国家の目的と衝突したことだそうです。

4)1609~1614年のスペイン
「宗教的同質性を求めた追放」

 現代の事例ではないものの、宗教的不寛容と経済的損失の関係を調べるうえで、比較材料になるそうです。

 スペイン王権は、キリスト教に改宗したイスラム系住民であるモリスコを、1609~1614年に大規模追放したそうです。

 宗教的な忠誠や国家の統一が、追放を正当化する重要な論拠となったとのこと。

 経済史研究では、モリスコの追放後、旧居住地域※で人口と総生産が大きく減少したことが確認されているそうです。
※)特に重要な3地域があるようで、現在のバレンシア州、アラゴン州、グラナダ県アルプハラ山地がそれだそうです。カタロニア州よりも南の地中海地方とまとめられるでしょうか?

 また、地域によっては、人口や生産の回復が長期にわたって遅れたとのこと。

 ただし、研究者の間では、追放がその後の経済発展に与えた影響について、地域や指標による違いがあるそうです。

 したがって、「追放によってスペイン経済全体が一貫して衰退した」と単純化するべきではないそうです。

 それでも、宗教的同質性を求める政策が、特定地域の人口、生産、技能の蓄積に損害を与え得ることを示す事例となるようです。

5)特に重要な点
 これらの事例から導けるのは、「多様性があれば必ず国力が高まる」という単純な命題ではないとすべきだそうです。

 民族や宗教が異なれば、現実に対立が生じることもあるとのこと。

 むしろ、注目すべきなのは、違いを理由に人々を排除することで、国家が自らの人的資源・情報・協力関係を失っていく仕組みだということです。

 とくに危険なのは、次のような連鎖。

・民族・宗教への不信や敵視
↓
・権利・雇用・政治参加の制限
↓
・能力の浪費、制度への不信、反発の拡大
↓
・生産力・統治能力・社会の協力関係の低下

 この連鎖が進むと、排除を主張する側が掲げた「国家の統一」や「安全の確保」とは逆に、国家そのものが不安定になる場合があるようです。

 さらに民主主義との関係で考えるなら、重要なのは、不寛容が単に個人の偏見にとどまるのか、それとも法律・行政・雇用・教育などの制度に組み込まれるのかという違いに注目すべきだそうです。

 制度化されると、被害を受ける人々の能力が失われるだけでなく、政策に反対する人々まで排除され、政府が誤りを修正するための情報や批判も減って行くとのこと。

 この点は、民族・宗教への不寛容に限らず、民主主義の自己修正能力を考えるうえでも重要なのだそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 「まずいなあ、、、」と感ずるところが多々ありました。

 「どんな意味で?」とはお尋ねにならないよう御願いします。

 また、世界全体の国力増進によってより多くの人々がより幸福になってほしいと筆者は願うところですが、個々の地域の国力増進もその前段と位置付けて願っている旨をご理解頂ければ幸いです。

 国力が減退すると変な指導者が出現して間違った方向に人々を向かわせ様々な紛争の種を播くことも多いので、、、。

 次に続きます。

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