sc004: 「行政における忖度の弊害」について考えてみました

崩壊前のソ連のスーパー。こちらから転載させて頂きました。

本論考の結論は「忖度の過ぎる行政はソ連化の始まりであり、要注意」です。それではご高覧下さい。

一時、「忖度」という言葉が流行ったことがありました。
行政における「忖度」は法治主義に逆行する悪習ではないかと考えます。

ある市で市長選に出馬したAさんという人物から伺った話を以下に記します。皆様はどう思われますか?

Aさんは市長候補だったという顔を持っているだけでなく、いくつかの専門分野に習熟しています。
Aさんはその専門分野の知識や経験を地元の子供たちや学術界のために生かしたいと切望しています。その専門分野は選挙とは全く関係のない分野です。

ある時、Aさんの下にBさんがやってきたそうです。Aさんが尊敬する方からの紹介でした。
Bさんは、Aさんが詳しいアフガニスタン支援についてBさんの小学校の子供たちに説明して欲しいと切り出しました。
Aさんは喜んで「私でお役に立つなら」と快諾したそうです。
ところが、しばらくするとBさんから「あの話は無かったことに」と連絡があったそうです。

Aさんが理由を尋ねると「校長先生に相談したところ、市長選に出たような人が小学校で話をするのは不適切と判断された」とBさんは答えました。
Aさんは「アフガニスタン支援の話が選挙とどういう関係があると判断したのだろうか?」と不思議に思ったそうです。が、「おそらくは、その校長先生が現職市長に忖度したのだろう」と考えたそうです。

次に、Aさんの下に講演依頼が飛び込みました。
Aさんが調査していた地元の科学技術史に関するものです。
その会合の責任者であるCさんからの依頼でしたが、Aさんは先の小学校の経験から用心深く「私でいいのですか?」と尋ねたそうです。
講演要旨をまとめてCさんに託したところ、こちらも、しばらくして「実は、幹事会でDさんが強烈に反対意見を述べたのでご破算になりました。」と連絡がありました。
会長を自認するCさんからの依頼だったので会合幹事間での合意を得て上での依頼と信じていたAさんはとても驚いたそうです。
しかも、Dさんの反対理由が「Aは現職市長の対抗勢力の腰巾着と一緒に選挙をしていた」だったそうです。

「選挙に無関係な科学技術史を講演するのもダメなのか、、」とAさんは打ちひしがれていました。

以上のAさんの体験談の本質は何だろうかと考えてみました。

先の校長先生やDさんに現職市長から直接の圧力が掛かったとは思えません。
校長先生やDさんの「忖度」に基づく判断だったとするのが妥当でしょう。

では、校長先生やDさんにその「道理や常識を曲げる忖度」をさせた背景は何でしょうか?一つの可能性としては、「現職市長に睨まれると自分の立場が危うい」とまでは考えなくとも、「現職市長の周囲の人がうるさいだろうな」という思考があまりに強かったのではないかと推察されます。
それが「子供たちや市民にとって有益」という判断に勝ったのでしょう。

上記の例では対象が小学校での講話だったり科学技術史の講演だったりですが、もしも、行政全般にこの種の「道理や常識を曲げる忖度」がはびこっているとしたら、その街はひどいことになっている可能性が高いように思われます。

市の職員の判断基準が「ルール」よりも「上の顔色」を優先するものになっているかもしれないからです。そのしわ寄せは市民に訪れます。ルールに沿った行政を望んでもたいがいは期待外れに終わるでしょう。

これでは法治主義どころではありません。かつてのソ連を彷彿とさせる強権主義を想起するのは私だけではないはずです。その街の市民が心の底から気の毒と考えるようになりました。

この行政考察シリーズはこちらに続きます。

コメント / Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です