
若い頃の朝永博士。こちらから転載させて頂きました。
前回、朝永博士が朝永チームを構成した経緯について述べました。その中で、比較的多くの回顧文章を残しておられるのが東大生の愚問会の面々と伊藤大介氏です。
然るに、その回顧文章の多くは朝永博士が亡くなられた1979年以降の執筆です。終戦から34年が経っているので、その方々の若い頃の記憶とはいえ、勘違いが含まれているかもしれません。注意深く推論する必要があります。
伊藤大介氏については、戦後の朝永博士との交流を詳細に記述されていて貴重な資料を提供して下さっています。
が、残念ながら、1943年4月に陸軍に召集されているため、朝永博士の島田単身赴任(1945年4~8月)の前後についてはご存じなかったようです。復員後に朝永グループに戻られた後のことが回想の主体となっています。
福田博氏は四名の中では早期の召集を受け、復員も1946年にずれ込んだためか、回想の文章があまり多くありません。
宮本米二氏も愚問会の最後の時期(1945年春)に自宅の焼失や召集があったためか、回想は主として復員後のものです。
木庭二郎氏は戦後の朝永グループの主力として活躍された方で、繰り込み理論の完成に対する貢献はとても大きなものがありました。実際、繰り込み理論を発表した論文では木庭氏が筆頭著者です。
京都大学教授となった後にコペンハーゲン大学客員教授に就任されました。が、様々な意味で残念なことに、コペンハーゲンにおいて客死されてしまいました。
それが朝永博士逝去の前だったので、朝永博士回顧の書籍や専門誌などには全く登場されていません。日記を残されていれば、本論の推理の正否が明らかになると思われますが、見つかっていないようです。
最後に、早川幸男氏です。早川氏は愚問会の戦中の最終盤まで参加されていた上に、終戦後の帰京も早かったようです。
また、戦後、朝永博士の研究の主流から離れた分野に専門を移されたこともあってか、早川氏の回顧は愚問会のことと、朝永博士の島田単身赴任の前後のことが比較的多いようです。
後述するように、本論の推論において早川氏の回顧はとても重要な位置を占めます。
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