朝永振一郎博士と島田市 020 終章

島田理化工業での集合写真からの切り抜き。左から岡村総悟博士、渡辺譲博士、朝永博士、渡辺寧博士、小谷正雄博士。こちらから転載させて頂きました。

プリンストン高等研究所。こちらから転載させて頂きました。

東京文理科大学での朝永博士の授業。板書をきちんとされています。こちらから転載させて頂きました。

朝永振一郎博士と島田市との関係を考察するシリーズはこれで最後です。

戦後、朝永博士は島田理化工業の顧問を務められました。
島田の海軍研究所の関係者が戦後に設立したマイクロ波技術の会社という繋がりが重視されたためと思われます。
後に島田市長となった森昌也氏も顧問の一人でした。

上掲上段の写真は島田理化工業において撮影された集合写真の一部を切り取ったものです。
知る人ぞ知る「凄い」面々です。朝永博士や小谷博士についてはすでに触れてきましたが、岡村総悟博士と渡辺寧博士についても述べずにはいられません。
日本の電子工学の発展に大きく寄与されたお二方です。半導体集積回路や光ファイバ通信という全く新しい技術分野で世界の最先端を創造する、そのような偉業を成し遂げたお弟子さん達を数多く輩出されています。

1949年に朝永博士は米国ニュージャージー州プリンストンにある高等研究所から招聘され、量子力学研究を米国で進められました。
ここで有名なアインシュタイン博士と同僚になりました。どんな議論が交わされたのでしょうか?
なお、プリンストン高等研究所は篤志家による私立研究所である旨、強調させて頂きます。上掲中段はその全景です。
また、この年に東京文理科大学は東京教育大学となっています。

朝永博士は1956年、50歳の時に東京教育大学の学長に就任されました。現在の感覚からは「かなり若い学長」です。
その際、「政治家になってしまった」と周囲にこぼされたそうです。
朝永博士の祖父に当たる方もある意味で政治家だったので、そのDNAが発現されたのかもしれません。
祖父の朝永甚次郎(かんじろう)氏は大村藩(現在の長崎県)の俊英家臣として明治維新を迎えたようで、1871年の岩倉具視遣欧使節団に旧藩主と共に加わっています。
また、この「政治家になってしまった」時期、朝永博士は様々な要職を担う忙しい中、世界の平和運動にも積極的に参画されています。

上掲下段は朝永博士の授業風景です。後ろの席の学生にも分かり易いように太くてしっかりとした文字で板書されています。教育者としての配慮が滲み出ている一枚と感じ入りました。


以上、「朝永振一郎博士と島田市」の連載(000~020)を最後までご高覧頂き、誠にありがとうございました。
ご意見など、頂戴できれば幸いですし、間違いなどのご指摘はさらに歓迎させて頂く所存です。どうぞよろしくお願い致します。

なお、本連載は島田科学技術教育振興会の活動の一環として準備させて頂いた旨、末筆にてご案内させて頂きます。

このシリーズの最初はこちらにあります。

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