19cw015: 19世紀の戦争_015 ナポレオン戦争_2 ナポレオンの対応

絵画『ヨハネ黙示録の獣』(1814年)。ヨハネ黙示録の獣は、神に敵対する巨大な権力、世界を支配し人々を抑圧する暴君・独裁的国家、特定の個人というより時代ごとに現れる反キリスト的存在を意味するようです。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回からナポレオン戦争(1803年~1815年)を取り上げています。

アミアンの和約から約1年経った時点で、今度は「イギリスから」宣戦布告した様子を前回はご案内しました。

今回はイギリスの宣戦布告を受けた時点でのナポレオンの状況と対応を見てゆきます。1803年5月のイギリスの宣戦布告に対してナポレオンはどのように対応したのでしょうか?

ナポレオンは議会ではイギリスを非難する演説をしたそうですが、一方でそれまでの対立構図から再戦の予測もしていたようです。

ナポレオン個人はともかく、フランス革命戦争でイギリス同様に疲弊していたはずのフランスは、応戦できる状況だったのでしょうか?

ChatGPTに尋ねてみると「1803年の時点でフランスは「戦争を始められるだけの財政と経済」は持っていましたが、「長期の対英戦争を余裕で戦える状態」ではありませんでした。」とのことでした。

以下でその内容を見てゆきます。

まず、1803年のフランス財政を見てましょう。

1790年代の革命期よりは大幅に改善していたようです。

インフレ(アッシニア紙幣の崩壊)が収束、徴税制度の立て直し(直税の安定的徴収)、フランス銀行(1800年創設)による信用回復、行政の集権化で財政の「漏れ」が減少、などが要因だったようです。

これにより、常備軍を維持、軍需支出を継続する最低限の財政基盤は確保されていたようです(庶民は後回しですか、、)。

ただし、比較でいえば、国債市場が成熟、ロンドン金融市場による大規模借款が可能、海上貿易による継続的な税収を背景とする「借金で戦争を続けられる国家」であったイギリスに対して、フランスは、国債への国民の不信が根強い、海上貿易は英国海軍に遮断されがち、植民地収入も限定的で好対照だったようです。

つまり、短期戦には耐えられるが、無期限の消耗戦には弱いという構造だったとのこと。

ナポレオンはこれを承知していたようで、英国との戦争を「海軍力と金融力で勝負する戦争」と見ていて、ゆえに(海軍力と金融力で劣るフランスには)「正面からは勝てない戦争」だと理解していたとのこと。

だからこそナポレオンは、イングランド本土侵攻計画(ブローニュ軍)、大陸諸国を従わせて英国を孤立させる構想、戦争費用を占領地・同盟国に負担させる、という戦略を選んだようです。

ここが重要で、フランスは「自国財政だけ」で戦争を続けるつもりは最初から無かったようです。

1803年のフランス経済について俯瞰すると、工業は軍需(武器・被服・弾薬)中心、農業は徴発と価格統制で軍を支える、消費経済は戦争によって抑制される(まさに、軍国主義ですな、、)という、戦争に最適化されたが脆い経済でした。

短期的には何とかなるとしても、海上封鎖、貿易縮小、長期動員が続くと、民生と財政の両方に負担が蓄積する、そのような状況でした。


以前にイギリス金融の悪魔のサイクルをご案内しましたが、ナポレオンの思考も「(自らが)生き残るための戦線拡大」という(独裁者の?)隘路に陥ったようです。

当然ながら、戦争は長期化しますね。おまけに、両国とも庶民は消耗品扱いです。

次回は、両政府の首脳部が「戦争優先」に脳内が染まっている時期に平和運動を試みた人々を見てゆきます。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「ナポレオン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」  

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