
反戦派のクエーカー派が創設された当時(17世紀)のリーダーのGeorge Fox(1624年~1691年)。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前々回からナポレオン戦争(1803年~1815年)を取り上げています。
イギリスからの宣戦布告とそれに対するナポレオンの受け止めについては既に述べました。
今回はその当時の平和運動について俯瞰してみます。
ChatPGTに問い掛けた回答は「ナポレオン戦争時代にも、平和を望む人々は存在しました。ただし、その数は少なく、影響力も限定的でした。」とのことでした。
その背景は以下のようなものだったようです。
1)イギリス
》平和主義者は少数派であったものの、政治家や知識人の中には戦争反対の声もあったようです。
》ピューリタン系※やクエーカー教徒※※など宗教的理由で戦争を嫌うグループがいたとのこと。
》しかし、ナポレオンの台頭とフランスの攻勢により、多くのイギリス人は国防・戦争支持に傾いたようです。
⇒庶民はフランスの情報をどのように得たのでしょうか?
※)当時、「清教徒」という総称は歴史的な用語となっており、かつての清教徒の流れを汲む人々は「非国教徒 (Nonconformists)」と呼ばれていたようです。「審査法 (Test Act)」などの法律により、1828年に廃止されるまで公職に就くことが法的に禁じられていたとのこと。政治的な主流からは外れていたものの、彼らの禁欲的で勤勉な職業倫理(プロテスタンティズムの倫理)は、産業革命期のイギリス社会において、特に新興の中産階級や労働者階級に深く根付いていたそうです。
※※)クエーカー派(フレンド派)は17世紀にイギリスで創設されたそうです。1800年頃は静寂主義的な信仰を基盤としながら、奴隷貿易廃止運動や刑務所改善、精神病者保護などの重要な社会改革・慈善活動において主導的な役割を果たしていたそうです。人間の根源的な平等と尊厳を主張し、絶対的平和主義を主張し、歴史的に良心的兵役拒否で知られているそうです。質素な生活と正直、公平さを重視する「証(Testimonies)」に従って生活していたとのこと。
2)フランス
》革命期から続く戦争疲れや民衆の生活困窮から、戦争を嫌う人々もいたとのこと。
》特に農村や小都市では、徴兵や物価高騰で反戦の気持ちを持つ人がいたそうです。
》しかしナポレオンの圧倒的な権力と愛国主義的プロパガンダにより、公開的に反戦を唱えるのは危険だったようです。
3)国際的・知識層の動き
》平和主義的思想は、哲学者や文学者の中に散見されるそうです。
例:ジャン=ジャック・ルソーや後の啓蒙思想の影響を受けた知識人の中には戦争批判があったとのこと。
》しかし戦争が政治・経済の中心テーマだったため、現実の影響力は小さかったようです
まとめると、平和主義者は存在したが、戦争が国民生活と権力構造に深く組み込まれていたため、声を大きくできなかったという状況です。
以下は具体的な活動の例です。
1)イギリスの平和主義者
クエーカー教徒
》宗教的信念から戦争を拒否し、兵役や戦闘参加を避ける運動をしていたそうです。
》戦争のための資金提供にも反対する声をあげることがあったとのこと。
》例:一部のクエーカーは戦争税を拒否したり、平和的な救援活動に力を注いだようです※。
※)21世紀の日本でもクエーカー教徒が同様の抗議活動をしたそうです。
知識人・文学者
》平和の重要性を著作や新聞で訴えることがあったそうです。
》例:イギリスの詩人・評論家の中には戦争を「無駄で破壊的」と批判する作品を発表した人がいたようです。
》ただし、ナポレオンの脅威が強まると、批判的立場は次第に抑えられたとのこと。
2)フランスの平和主義者
》徴兵に反対する農民や市民
》「レジオン・ナポレオニアン(ナポレオンの徴兵制度)」に不満を持つ人々は、徴兵を逃れるために地方に隠れることもあったそうです。
》小規模ではありますが、反戦的な伝単や手紙が流通することもあったとのこと。
知識人・元革命家
》フランス革命期に戦争批判をしていた人物の中には、ナポレオンの戦争政策に対して静かに反対する人も。
》例:一部の思想家は戦争の経済的・社会的負担を論じ、民衆に訴えたそうです。
》しかし、政府の検閲や監視が厳しく、公開的に活動することは危険だったようです。
3)国際的な動き
》平和協会の原型
》19世紀初頭には、国際的に戦争を避けようとする小規模な議論や文書交換が始まっていたそうです。
》ナポレオン戦争期にはまだ組織化は不十分ですが、思想としての平和主義は存在したとのこと。
まとめ
》平和主義者は存在したが、少数派で影響力は限定的。
》彼らの活動は、戦争反対の文章、宗教的抵抗、徴兵拒否などに限られ、直接的に戦争政策を変える力はほとんどなかった。
》しかし、こうした小さな抵抗や思想が、後の国際平和運動や平和協会の土台になったと言えるそうです。
次回は、平和主義者が少数派だった理由を考察してみます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「ナポレオン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
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