19cw026: 19世紀の戦争_026 ギリシャ独立戦争(1821年2月~29年9月)

トーマス・アロム作『コリントの略奪』。古代ギリシャが古代ローマに征服された場面(紀元前146年)。こちらから転載させて頂きました。

ファウスト・ゾナロ作『メフメト征服王のコンスタンティノープル入城』。約1500年続いた東ローマ(ビザンツ)帝国がオスマン帝国のメフメト2世に滅ぼされた場面(1453年)。ビザンツ帝国の都のコンスタンティノープルは現在のイスタンブール。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回はナポレオン戦争(1803年~1815年)末期にアメリカ大陸で生じた米英戦争を調べた結果をお伝えしました。

米国が英領カナダを侵略するためにマディソン大統領が宣戦布告した戦争です。

今回は、ナポレオン戦争から第一次アフガン戦争までの間の三戦争の二つ目であるギリシャ独立戦争を俯瞰します。

例によって、ChatGPTに質問する形で調査を進めました。

ギリシャ独立戦争は、オスマン帝国の支配下にあったギリシャ人が独立を目指して起こした戦争で、最終的に近代ギリシャ国家の成立につながったそうです。
1)背景(18~19世紀初頭)
》ギリシャ地域は約400年にわたりオスマン帝国に支配されていた※。
※)東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされて以来ということのようですが、それまでギリシャが独立していた訳でもないはずです、、。
⇒ローマによるギリシャ支配の始まりは紀元前146年(コリントスの戦い)に遡るので、そこから数えると約1970年間となりますが、途中の東ローマ帝国※はギリシャ語と正教会の国家だったので「支配される」ということにはならないようです。
※)東ローマ帝国でも最初のうちはラテン語が公用語(日常生活や文化はギリシャ語)だったそうですが、7世紀から公用語もギリシャ語になったそうです。ですが、国民は自分たちのことをローマ人と考えていたようです。
⇒自国の起源が右往左往するのは洋の東西を問わないということでしょうか?

》18世紀末~19世紀初めに、フランス革命などの影響で民族主義や自由主義の思想が広まり、ギリシャ人の間で独立運動が高まったとのこと。
》秘密結社であるフィリキ・エテリア(友愛結社)が1814年に結成され、蜂起が計画されたそうです。

2)1821年の蜂起の開始
》1821年にアレクサンドロス・イプシランティスが現在のルーマニア付近で反乱を起こしたそうです(これは失敗)。
》同年、ペロポネソス半島などのギリシャ本土でも反乱が拡大し、独立戦争が本格化し、1822年には反乱勢力が独立を宣言。

3)激しい戦争と内紛(1821年~25年)
》ギリシャ側は各地でオスマン軍を破るものの、勢力間で内戦も起こり、団結が弱まったそうです。
》一方、オスマン帝国は鎮圧に苦戦し、エジプトの統治者ムハンマド・アリー※に援軍を要請したとのこと。その息子のイブラヒム・パシャが強力な軍を率いてギリシャ反乱軍を追い詰めたそうです。
※)ナポレオンのエジプト遠征に対抗する中で頭角を現し、オスマン帝国のエジプト総督になり、エジプトのオスマン帝国からの事実上の独立を達成し、その後のエジプト発展の基礎を築いた。近代エジプトの父とも呼ばれる人物(スンニ派)。バルカン半島のマケドニア地方の出身とされる。

4)欧州列強の介入(1827年)
》ヨーロッパではギリシャ文化への共感(フィレヘレニズム)が強く※、列強が介入したそうです。
※)よく知られているように、ギリシャ文化はヨーロッパでは忘れ去られてしまい、イスラムがそれを引継ぎ発展させました。ヨーロッパ人が自分たちはギリシャ人の子孫だと考えるのは、彼らのご都合主義の表れでしょうか?
⇒中世ヨーロッパはローマとキリスト教の世界だったそうで、そこにギリシャの入る余地は無かったそうです。ですが、ルネッサンス以降は古代重視の思想が広まり、エリート教育はラテン語とギリシャ語を学ぶこととなったそうです。
⇒「介入」とは言いますが、現代の言葉で言えば(オスマン帝国からすると)内政干渉ですな。「文化の違い」は、おそらく、建前だったはずです。オスマン帝国の弱体化を利用して東地中海の影響力を拡大したいという思惑もあったようです。

1827年にオスマン・エジプト連合艦隊がイギリス・フランス・ロシアの連合艦隊に壊滅させられたそうです(ナヴァリノ※の海戦)。その結果、戦局が決定的に変化したとのこと。
※)ギリシャのペロポネソス半島南西、メッセニアにあるイオニア海の湾で、現在は「ピュロス」という都市名。

5)独立の承認(1829年~1832年)
》ロシア帝国がオスマン帝国と戦い(露土戦争※)、オスマン帝国は弱体化。
※)1828年4月~29年9月。ギリシャ独立戦争が起因となった戦争。戦場はバルカン半島とコーカサス。
》1829年頃には実質的にギリシャ側が勝利。
》1830年に列強がギリシャの自治を承認。
》1832年に正式にギリシャ王国が成立し、独立国家に。


以下は、イギリス、フランス、アメリカの視点を列挙したものです。

【イギリス】
》オスマン帝国弱体化を利用し、地中海・東方問題で影響力拡大。
》ロシアの南下を牽制するバランス外交。
》海軍力を誇示(ナヴァリノ海戦)。

【 フランス】
》革命後の国際的威信回復。
⇒威信回復の手段が戦争ですが、、。
》地中海政策への関与強化。
》自由主義世論に配慮しつつ外交的主導権を確保。

【 アメリカ】
》直接軍事介入はせず。
》古典ギリシャへの憧れからフィルヘレニズム(ギリシャ愛好)世論が高揚。
》「民族自決」理念への共感を強化。


次回は、「テキサス独立戦争」についてご案内する予定です。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争」 

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