
英国に宣戦布告したマディソン米大統領。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回でナポレオン戦争(1803年~1815年)に関する記事を一区切りとしました。
次に当たるのは「第一次アフガン戦争」を想定していますが、ナポレオン戦争と第一次アフガン戦争の間に三つの戦争が生じていたので、それらについて簡単に触れておきます。
まずは、米英戦争(1812年–1815年)です。
イギリスは、なんと、フランスとの間でナポレオン戦争(1803年–1815年)を戦いながら、並行してアメリカとも戦っていたようです。
金融による戦争資金の調達は恐るべしです。
⇒出資する側も「利得がある」と考えていたのでしょう。「戦争はビジネス」と誰かが指摘していましたな、、。
さて、米英戦争はアメリカ第四代大統領のジェームズ・マディソン※の宣戦布告で始まりました。その主戦場は以下の通りです。
※)合衆国憲法の主要な執筆者で、修正条項10か条を起草したり、トーマス・ジェファーソンと共和党(⇒民主共和党⇒現在の民主党)を創設したり、活躍が目立つ政治家だったようです。が、対外宣戦布告をした最初の大統領という汚名(?)もあるようです。
1)カナダおよび米加国境地帯
》当時イギリス領だったカナダとアメリカ合衆国の国境が最大の戦場だったそうです。
》五大湖周辺(エリー湖やオンタリオ湖など)、ナイアガラ地方、デトロイト周辺など。
》アメリカのカナダ侵攻の試みの多くは失敗したとのこと。
2)アメリカ東海岸
》イギリス海軍が封鎖や攻撃を実施。
》首都ワシントンD.C.へイギリス軍に侵攻(1814年)され、ホワイトハウス、議会議事堂、その他の官公庁が焼き払われたそうです※。
※)この焼き討ちは、アメリカ軍がカナダの首都ヨーク(現在のトロント)を焼き払ったことへの報復として行われたとのこと。報復、、、ですか。
》ほかに、ボルチモアのマクヘンリー砦の戦いなど。
3)メキシコ湾岸
》1815年の「ニューオーリンズの戦い」(戦争終結後に起こった戦闘だそうです)。
4)海上戦
》大西洋、五大湖、カリブ海など、アメリカ海軍とイギリス海軍が海上でも戦ったそうです。
以下は、戦争当事国とフランスの視点からのこの戦争を俯瞰してみます。
ア)アメリカ
》独立戦争(1775年4月-1783年9月)後の対英再戦という位置づけだったようです。
》イギリスによる海上封鎖や強制徴募への反発。
⇒とはいえ、カナダに攻め込んだということは領土拡張が最終目的だったと思われます。この頃の(あるいはそれ以降も)アメリカは領土に貪欲だったようです。
》結果は引き分けに近いが、「第二の独立戦争」として国家的自信と独立意識が強化されたそうです。
》先住民勢力※の弱体化により西部拡張が加速とのこと。
※)インディアン諸部族はイギリスと同盟を結んでいたそうです。
》連邦党※が衰退し民族主義が高揚したとのこと。
※)アメリカ合衆国成立初期の政党で、当時は突出していた。後の共和党。
イ)イギリス
》主戦場は対ナポレオン戦争だったため北米は副次的だったとのこと。
》領土喪失はなく、対米関係を安定化させ通商重視へ転換したそうです。
⇒21世紀になっても「通商重視」という考え方のできない政治家やその支持者がいるようです。世界的に見れば「18世紀の脳みそ」ということになるのではと考えたのは秘密です。
》カナダ防衛に成功し、帝国の威信は維持されたそうです。
ウ)フランス
》直接参戦せず(ナポレオン戦争中)。
⇒ちなみに、ナポレオンは北米大陸のルイジアナ(現在の15州にまたがる広大な土地)を1803年にアメリカに廉売(1500万ドル)しています。が、アメリカがナポレオン戦争でフランス寄りの立場を取ることは無かったようです。
》英米対立は対英戦略上は有利だったが、決定的影響はなかったとのこと。
次回は、ギリシャ独立戦争(1821年2月-1829年9月)についてご案内する予定です。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
・「ナポレオン戦争」
コメントを残す