19cw029: 19世紀の戦争_029 テキサス独立戦争_3 メキシコからのテキサスの独立

テキサス共和国初代大統領のサム・シューストン(1836年)。メキシコ領テキサスへの入植者ではない人物。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回はテキサス独立戦争をよりよく理解するために独立戦争(1810年~21年)で独立したメキシコという国の(当時の)特性を俯瞰しました。

何故なら、テキサスは「メキシコから独立」したからです。そのメキシコはアメリカ合衆国とは異なる方針で先住民と接していました。

結論から申しますと、テキサスに入植してきたイギリス系移民がメキシコのそれを嫌い、誓約書に反して武力で問題解決に当たったのがテキサス独立戦争※と言えます。
※)英語では「Texas Revolution」というようです。Revolutionではないように思えますが、、。

「自分の都合で『誓約書なんか知ったことじゃない』とし、武力に訴えた」のが本当だとすると、相当に乱暴な人々ということになります。

本当でしょうか?


それでは、テキサス独立戦争の概要からスタートします。

テキサス独立戦争(1835年~36年)は、当時メキシコ領だったテキサスで、入植していたアメリカ系住民(テキサス人)がメキシコからの独立を目指して戦った戦争で、短期間ながら北米の歴史に大きな影響を与えたそうです。

1)背景
》テキサスはもともとスペイン領(新スペイン)でしたが、1821年に(新スペインだった)メキシコが(本国の欧州スペインから)独立するとそのままその一部に。
》メキシコ政府は人口を増やすため、アメリカ人の入植を許可※。
※)メキシコのルールに従う旨の厳しい誓約書を提出させたそうです。
》しかしながら、文化・言語※・奴隷制度※※などの違いから対立が深まったとのこと。
※)テキサスに入植した人々の多くは英語を話すアメリカ系住民であり、メキシコはスペイン語圏でカトリック文化。「英語vsスペイン語」と「プロテスタント文化vsカトリック文化」という対立。
※※)メキシコは1829年にビセンテ・ゲレロ大統領が全国的な奴隷制度の全面廃止を布告し、法的には奴隷制は完全に禁止されたそうです。が、それ以前から段階的に廃止が進んでいたとのこと。1810年にメキシコ独立戦争の中で指導者ミゲル・イダルゴ が奴隷解放を宣言し、1824年制定の憲法では奴隷制を制限する方向に進んだそうです。他方、テキサス入植者は奴隷を「契約労働者」と偽装するなどして維持したとのこと。
⇒「誓約まで行い従うことを認めたルール」に従わないという思想がテキサス人にはあったという理解で間違っていないでしょうか?
》特に、中央集権化を進めたアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ大統領への反発が強まったそうです。

2)戦争の経緯
2-1)開戦(1835年)
》ゴンザレスの戦いで武力衝突が発生し、戦争が始まったそうです。
2-2)アラモの戦い(1836年)
》アラモの戦いでテキサス側は全滅。デイヴィッド・クロケットらが戦死し、「アラモを忘れるな」が合言葉になったそうです。
2-3)ゴリアドの虐殺
》捕虜となったテキサス兵が処刑され、反メキシコ感情がさらに高まったそうです。
2-4)サンジャシントの戦い(1836年)
》テキサス軍(指揮:サム・ヒューストン)が奇襲し勝利。サンタ・アナが捕らえられ、事実上戦争は終結。

3)(少し遡って)入植時の誓約
》テキサスへの入植は、メキシコ政府が導入した「エンプレサリオ制度」という仕組みで行われたそうです。
ました。代表的な仲介者がスティーブン・F・オースティン※だったそうです。
※)独立したテキサス共和国の首都であり、現在のテキサス州の州都のオースティンはこの人物の名前を由来とするようです。
》入植者は基本的に以下を約束する必要があったそうです。
》》メキシコ国民になる(帰化)
》》カトリックに改宗する
》》スペイン語を学ぶ
》》メキシコの法律に従う(当然、奴隷制も含む)

》つまり形式上は「完全にメキシコ社会の一員になる」契約だったようです。


筆者の眼からはアメリカからの入植者が「自分の都合で『誓約書なんか知ったことじゃない』とし、武力に訴えた」ようにしか見えません。

しかも、初代のテキサス共和国大統領のサム・ヒューストンは入植者ではなく米国の政治家で、テキサス独立運動では軍事指導者・政治家として活動した人物です。入植者の代表ではなく、政治・軍事のリーダーとして指導的役割を果たしたとのことですが、これが何を意味するでしょうか?

このような無法者の思想が現代にも続いているとすると、怖いように思えます。

また、以降の米墨戦争(1846年~48年)、南北戦争(1861年~65年)、米西戦争(1898年)などにもこの思想が反映されているか精査が必要と思われます。


次回は、ナポレオン戦争終結の際に欧州で打ち立てられた「ウイーン(会議)体制」の下で発生した三つの戦争の意味合いについてご案内する予定です。その後に、漸く、第一次アフガン戦争に移ります。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「テキサス独立戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争
・「ナポレオン戦争」  

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