krs07: 「喧嘩両成敗」を考える (7) 藩の武力行使のシミュレーション:薩摩藩

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薩摩藩の島津家の発祥の地である宮崎県の都城。こちらから転載させて頂きました。

2026年元旦に「喧嘩両成敗」のことを考え始めました。が、予想以上に深い内容となったので、分割することにしました。

前回は、隣藩とのもめごとに対して諸藩が武力行使を思いとどまる思考回路とメカニズムを俯瞰しました。

今回はさらに踏み込んで雄藩が隣藩に対して武力行使した場合をシミュレートしてみました。

対象は薩摩藩(鹿児島藩)です。例によってChatGPTの力を借りました。


江戸時代中期に「薩摩藩が肥後藩に本気で侵攻した場合」を想定し、軍事・政治・経済の三層で、できるだけ現実的にシミュレーションしてもらいました。

「勝てるか/負けるか」ではなく、その後どうなるかが核心なのだそうです。

1)仮定
》時期を享保から宝暦期の18世紀前半とします。
》目的を境界問題の力による解決、あるいは肥後への威圧とします。
》規模を「小競り合い」ではなく、藩として統制された軍事侵攻とします。
》幕府は健在で老中や評定所が機能※していたとします。
※)権力中枢の老中や評定所が機能していたか機能不全だったのか、、、は現代に写し鑑となるのでしょうか?

2)軍事的にはどうなったか(シミュレーションです、念のため)
2-ア)開戦初動では薩摩が有利
》戦術や兵力面で見ると、薩摩藩には実戦的武士団(郷士制)が形成され、山岳戦や奇襲に慣れた兵が含まれ、動員速度が高いという特徴があったようです。
》一方、肥後藩は防御重視で、城郭および藩政中枢は堅固だが初動は遅いという特徴。
》国境地帯(八代・水俣・球磨周辺)では薩摩が優勢となり、境界の砦や番所は短期間で突破される可能性が高いようです。

2-イ)「熊本城」は別問題
》熊本城は日本屈指の近世城郭で、石垣および縄張りともに難攻不落とのこと。
》薩摩は攻城戦に必要な兵站、重火器、長期包囲能力が不足するようです。
》熊本城攻略は事実上不可能で、薩摩は「勝ち進める」が決定的勝利が出せないと予測されるようです。

2-ウ)長期戦になると薩摩が詰む
》薩摩は次の弱点を抱えていたそうです。
》財政は慢性的に逼迫し、米生産力は肥後に劣り、琉球経由の収益は「戦争で止まる」。
》半年から一年で薩摩の継戦能力が限界に達すると見込まれるとのこと。

3)幕府の反応(ここが致命的となるようです)
3-ア)最初の対応として即時停戦命令
》老中名で「両藩即刻兵を引け」、「評定所出頭」を厳命。
》無視すれば朝敵認定の準備。

3-イ)幕府は「薩摩だけ」を狙い撃ちに
》理由として、侵攻したのが薩摩、外様大藩、以前から警戒対象など。
》想定される措置として、福岡藩・佐賀藩・熊本藩(肥後)を含む九州諸藩による薩摩包囲と海上封鎖(長崎・琉球航路遮断)があり、薩摩は完全に孤立。

3-ウ)「勝っている途中」で政治的敗北が確定
》熊本城を落とせない、九州全域が敵、海路遮断で薩摩は「戦場では優勢、政治では敗北」という最悪の状態に陥る。

4)最終的な処分はどうなるか
4-ア)最悪シナリオ(十分あり得る)
》島津家は改易、薩摩と大隅は分割統治、島津宗家断絶で一族は旗本格下げないし流罪
》決して誇張ではない(関ヶ原後の処分基準から見て合理的)

4-イ)次善策(薩摩が屈服した場合)
》薩摩が途中で謝罪・撤兵した場合には当主隠居、石高大幅削減(半減クラス)、江戸屋敷縮小、および軍制解体や監視強化
》「薩摩は薩摩でなくなる」という事態に。

5)肥後藩はどうなるか
》軍事的被害は出るが譜代的立場で幕府中枢との近さがあるため、処分は軽微
》一部監督責任、境界再整理、場合によっては加増

6)最終的に
》薩摩藩そのものが消える可能性が高く、島津は「戦わない強さ」を選び続けた


このシミュレーションから分かることは、「老中や評定所が機能していてその制裁の現実性が極めて高い」という要素が武力行使の抑止機構の中心にありそうだということでしょうか?

その「老中や評定所」の「睨み」が効くのは、江戸幕府当初の「見せしめ」と統治機構にあったようです。

そのような見せしめと統治機構が構築できたのも、関ヶ原から大坂の陣に至る徳川の政治的及び軍事的な力の卓抜性にあったと遡ることができるかと。

》》》》このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。 

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