krs06: 「喧嘩両成敗」を考える (6) 紛争抑止のメカニズム

江戸時代の紛争抑止の見せしめを被った代表格の松平忠直。こちらから転載させて頂きました。

 伊達騒動を山本周五郎的解釈で描いた「樅ノ木は残った」の一場面(NHK)。身を捨てて伊達藩を守ったとされる原田甲斐(平幹二郎)と養女の宇乃(吉永小百合)。こちらから転載させて頂きました。

2026年元旦に「喧嘩両成敗」のことを考え始めました。が、予想以上に深い内容となったので、分割し、ミニシリーズとしました。

前回は江戸時代の藩同士の紛争「諸藩が武力行使に踏み切らなかった(踏み切れなかった)」理由を俯瞰しましたが、やや表皮的な掘り下げに終始した感がありました。

今回は各藩の視点に立って抑止力の本質に迫ってみたいと考えました。

例によってChatGPT※に質問する形で調査を進めました。
※)漢字の構造に関する知性についてはChatGPTは小学生以下なので、間違いが含まれる可能性があります。一応、裏を取りつつ進めています。

「幕府が禁じた」だけでは説明しきれない、藩が武力行使に踏み切らなかった(踏み切れなかった)合理的理由は、制度・軍事・経済・政治のすべてに関わっているそうで、以下、順に説明を試みます。

1)なぜ藩は「武力を持ちながら」使わなかったのか
》結論の先取りをすれば、江戸時代の藩にとって 藩際武力行使は「勝ってもほぼ必ず負けになる賭け」と認識されていたそうです。


2)武力行使した場合に想定された現実的な事態の分析

2-ア)即時の幕府介入(軍事・政治両面)
》藩同士の武力衝突は「私戦(しせん)=天下の法を乱す行為」と認識されたとのこと。
》実際に起きた場合の段取り:老中・評定所が即時介入し、当事藩に 戦闘停止命令を発し、命令無視の場合には他藩を動員して制圧、、、ということが想定されるそうです。
⇒「他藩を動員して制圧」というのは私にとって新しい知見でした。
》幕府は「裁定者」であると同時に「唯一の正当な武力行使主体」という位置づけを得ていたようです。

2-イ)「勝った側」も必ず処罰される
》ここが要点のようです。喧嘩両成敗が刑罰原理として適用され、武力衝突では加害・被害の区別が消えると考えられたようです。
》想定される処分としては、石高削減(財政崩壊に直結)という減封、当主交代・政治的失脚をもたらす謹慎・隠居、改易という所領没収、転封という不利な土地への移動、など。紛争における「勝利」は一切考慮されないということだったようです。

2-ウ)改易は「最悪」だが「現実性があった」
》武家諸法度制定直後に見せしめ的な実例があったようです。
》福島正則(広島藩):城修築問題で改易(武力衝突ですらない)
⇒福島正則は豊臣家臣でしたが、関ヶ原では主役級の活躍をしていた人物。50万石から4.5万石への移封に諸大名は震撼したのではないでしょうか?
》松平忠直(越前藩):素行不良・統治問題で改易
⇒松平忠直は徳川家康の孫の一人で、大坂夏の陣で真田幸村を討ったほどの殊勲があった人物です。綱紀維持の「見せしめ」とは強烈だったかもしれません。
》 藩際戦争を起こせば(勝利したとしても)「十分現実的な最悪シナリオ」として改易が待っていたということのようです。

2-エ)藩内が崩壊する
》武力行使は「対外問題」では終わらないという側面があったようです。
》藩内へは、出兵費用 により財政破綻、農民動員により百姓逃散や一揆を誘発、家臣団分裂による内紛などの事態が待っていたようです。
⇒〇〇首相はこの点を〇〇政経塾で勉強されたのでしょうか?
》江戸時代の藩は「戦争に耐える国家」ではなく「年貢国家※」だったようです。
※)「年貢で政治を回す政治体制」という意味でしょうか?

2-オ)幕府は「見せしめ」を必要とした
》一藩の武力行使を黙認すれば、他藩も続き、幕府の裁定権が崩壊すると考え、「最初の違反者ほど重く処罰される」というスタイルが採用されたようです。


3)「減俸や改易を甘んじて受けるしか選択肢なかったのか?」

》ChatGPTの答は「原則YES、だが破滅一択ではない」とのこと。
》現実的な回避ルートがあったようで、藩が全面否定ないし責任転嫁する、「家臣の暴走」「百姓同士の争い」と主張する、当主の隠居・家督交代で幕府の怒りを鎮めるなど、 藩そのものを守るための「自己処罰」という選択肢があった(取られた)ようです。
⇒山本周五郎「樅ノ木は残った」の世界ですな、、。

4)雄藩とされる薩摩・長州も同様だったのか、、は確認しておきたいところ。

4-ア)原則は同じ(例外ではない)
》薩摩や長州も江戸期を通じて幕府に対しては極端に慎重だったとのこと。
》薩摩藩は熊本(肥後)藩との藩境紛争ではほぼ必ず自制し、琉球問題でも「戦争」と言わず「旧例回復」を装ったようです。
》長州藩は、江戸期前半を模範的な藩として過ごし、他藩との私戦は回避していたそうです。
⇒隣藩の広島藩の事例が強烈だったのでしょうか?

4-イ)例外としての「幕末」(さて、ここです)
》幕末には、幕府の裁定能力が失われたようで、「処罰する幕府の脆弱性」が見抜かれたようです。
⇒力関係の逆転ということでしょうか?
》また、国際的危機(外国勢力)があったりして、喧嘩両成敗が機能しなくなったとのこと。
⇒世の中が乱れると「勝った者勝ち」が「喧嘩両成敗」に思想的に勝るということでしょうか?


筆者が自分なりにまとめると次のようになるかと思われます。

藩が武力を隣藩との紛争の解決の手段として行使すると、幕府が周囲の藩を動員して「理由の如何にかかわらず」鎮圧させられ厳罰が下されるため、「武力のための投資」が「結実しない」という状況だった。この状況を江戸前期の徳川幕府は厳罰の実例を以って構築した。
⇒この仕組みが幕末に崩壊した一因に外的要因があるのではないでしょうか?


さらに深い理解を得るため、ChatGPTにシミュレーションをしてもらいました。次回はそれをご案内します。

》》》》このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。 

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