
仁王門。市道からの階段が仁王門に続いています。

吽形(うんぎょう)の仁王像。
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑石像と建築物をひとつひとつご案内しています。
今回は仁王門です。
以前に「仁王さん石碑」をご案内しました。仁王像の建立が享和二年(1802年)なので、それを収容する仁王門は少し前に建立されたのかもしれません。
1802年の出来事は以前にご案内しましたが、別のシリーズ「19世紀の戦争」で扱っているフランス革命戦争が終結した年でもあります。偶然でしょうが、ヨーロッパの和平の年に「卋の人々を守らん」とする仁王像が建立された訳です。
仁王門は大日山瞰川寺の山門を兼ねていて、市道から階段を登って潜り抜け、さらに階段を登って本堂に辿り着く形式が採られています。
入母屋造りの屋根には様々な彫刻が施されていて、建立に力が入れられた建物であることが窺われます。
一般に、山門は寺院の正式な入口であり、煩悩に満ちた俗世間と仏教の聖域を分ける境界を象徴しているそうです。地域コミュニティの中心としての寺院の存在感を示す構造物でもあったようです。
大日山瞰川寺の仁王門には、向かって右側に阿形(あぎょう)の仁王像、左側に吽形(うんぎょう)の仁王像が立っておられます。上の写真は吽形の仁王像です。
阿形とは、口を大きく開け、「あ」の音を表し、物事の始まりや真理への到達を意味するそうです。
吽形とは、口を閉じて真一文字に結び、「ん」の音を表し、物事の終わりや悪を遮断することを意味するそうです。
江戸時代の仁王像は、筋骨隆々の姿から「健康・健脚」にご利益があると信じられ、庶民の間で人気を集めたそうです。
元来、仁王像は釈迦如来を守護する神であり、寺院内への仏敵や悪霊の侵入を防ぐ門番として、寺院の入口(山門)左右に一対で安置されたそうです。鎌倉時代に建立された東大寺南大門とその仁王像が有名ですね。
江戸時代には、地域に根ざした健康祈願や子育ての民間信仰の対象ともなったようです。また、健脚の神として大きな草鞋(わらじ)が奉納されることもあったようです。大日山瞰川寺の仁王門にも大きな草鞋が仁王像の前に吊り下げられています。
サッカー選手や陸上選手を目指す若者は仁王像にご利益をお願いしてもよいかもしれません。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。
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