
大日山瞰川寺の鐘楼の真横を参道から写しました。

鐘楼の土台の石垣。きれいな亀甲摘みです。
このシリーズでは大日山瞰川寺の境内にある石碑石像と建築物をひとつひとつご案内しています。
今回は鐘楼の2回目です。
前回は構造や鬼瓦に注目しましたが、今回は鐘楼の土台の石垣に着目しました。
上掲の写真にあるようにとてもきれいな亀甲積みから成っています。
1814年完成の鐘楼です。江戸時代後期の志太平野の石材加工技術の洗練が窺えます。
この時代の石垣は実用性だけでなく意匠性も意識した石垣が増えたそうで、亀甲積みはその代表例。上品な印象を与えるものだそうです。
また、亀甲積みは目地(継ぎ目)が縦横に通らず、力が分散されやすい構造であるそうです。鐘楼の土台に使われる場合、鐘の撞打による上部の振動に対応する石垣構造となっているようです。
さらに、手間のかかる積み方であるため、寺院の経済力や、その鐘楼が重要な施設であったことを示す場合があるそうです。
大日山瞰川寺の大日堂は田中城の裏鬼門除け(裏鬼門=未申=南西方向)として建築が許されたという歴史があります。田中城は江戸幕府の譜代大名の居城でしたし、亀甲城とも呼ばれた城でした。鐘楼の亀甲積みとの関係があったのでしょうか?
この例からも、万が一に石垣に損傷が生じた場合には、かつての岸村民の格式を重視した修繕が望まれることは明らかです。現在の町民の知性が試される場となることは間違いありません。
軽率な判断は大日山瞰川寺の歴史的な価値を損なうだけでなく、将来の批判の的となる可能性は大きいと思われます。
このシリーズはこちらに続きます(最新記事がアップされたらそちらが表示されます)。また、本シリーズの初回はこちらです。
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