LB14: 連載「無法者」14_ドイツ大統領の選出過程_4

(抜粋)現在のドイツ大統領の選出過程が大いなる反省対象としているヒトラー、この人物が如何様にして首相に選出され独裁体制を築いたのかを調べてみました。

1932年の選挙戦の最中、ラジオのマイクに向かう84歳のヒンデンブルク氏。この選挙でヒトラーを破っているそうです。1847年10月生まれなのでヒトラーを首相に任命した時は85歳こちらから転載させて頂きました。

 昨今、法律を無視して我が道を押し進もうとする輩が日本でも様々な階層で増えている状況を嘆き、このシリーズを始めました。

 ここ何回かは、ヒットラーという無法者を国のトップに仕立ててしまったドイツが、制度改革を成し、大統領公選制(権限を抑圧された大統領を間接選挙で選出する)を採用して今日に至っていることを俯瞰してきました。

 そこで、念押しとしてヒトラーがトップに上り詰めた経緯を把握したいと考えました。

 現在の大統領選出システムが如何様に対策されているかが浮き彫りになると期待されます。

 例によってChatGPTに質問する形で調査を進めました。

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0)はじめに
 ヒトラーが選ばれた経緯は、ヴァイマル共和国の崩壊を理解するうえで最も重要な出来事の一つなのだそうです。

 その概要は次の通り。

 ヒンデンブルク大統領が独断でヒトラーを首相にしたのではなく、議会政治が行き詰まり※、保守派指導者たちが「ヒトラーを首相にしても制御できる」と考えて推薦した結果、大統領権限で任命した。
※)どこかの国の現況もこれに類似しているのでしょうか?

1)世界恐慌(1929年)
 世界恐慌によりドイツ経済は大打撃を受け、
・失業者は600万人前後※
・政党間の対立が激化
・極右・極左政党が急成長
という状況になったとのこと。
※)当時のドイツの総人口は6500万人前後でその9.2%、総同労力人口は3000万人の20%という数字です。歴史的な表現では失業率30%とか3人に一人が職を失うとかいうようですが、もう少し低めの数字が実態だったようです。それでも失業率20%は社会不安を掻き立てるには十分な数字ですね。

2)議会が機能しなくなる
 ヴァイマル共和国では比例代表制のため多党化が進んだそうです。

 その結果、どの政党も過半数を取れず、連立政権が次々に崩壊。

 1930年頃からは議会の多数決で法律を成立させることが困難に。

3)大統領緊急令による政治
 重要なのがヴァイマル憲法第48条で、この条文により大統領は
・緊急命令を出す
・首相を任免する
という強い権限を持っていたそうです。

 大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクは議会多数に依存しない
・ハインリヒ・ブリューニング(1930年3月30日 – 1932年5月30日)
・フランツ・フォン・パーペン(1932年6月1日 – 1932年12月3日)
・クルト・フォン・シュライヒャー(1932年12月3日 – 1933年1月30日)
などを次々と任命。括弧内は首相在任期間。いずれも元陸軍軍人。

 これらの首相が率いる内閣「大統領内閣(Präsidialkabinett)」呼ばれたそうです。

4)ナチ党が第一党になる
 1932年選挙※では国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が議会第一党になるも、過半数には達せず。
※)7月31日と11月6日の二回行われ、ナチ党は、それぞれ、37%と33%の得票率で第一党。

 ヒトラーは「第一党なのだから首相にしてほしい」と要求。

 ヒンデンブルクはヒトラーを嫌っており、何度も拒否。

5)保守派の誤算
 ここが最重要。パーペンら保守派はヒンデンブルクに「ヒトラーを首相にしましょう」進言。

 理由は、「首相にはするが、閣僚の大半は保守派にすれば、ヒトラーは思い通りに動けない」と考えたからだそうです。

 パーペンは「彼を雇えば、二か月もすれば隅へ追いやれる」という趣旨の発言をしたそうです。ヒトラーを利用するつもりで。

6)任命
 1933年1月30日、ヒンデンブルクは憲法上の権限によってアドルフ・ヒトラーを首相に任命。

1.首相候補がまとまる。
2.大統領が任命。
3.首相と閣僚が宣誓。
4.内閣成立。
という、憲法に従った合法的な手続きだったそうです。

7)その後
 保守派の予想は完全に外れたそうです。

 首相就任1か月後(2月27日)に国会議事堂放火事件が発生。これを口実として共産党などへの弾圧が始まる。

 1933年3月23日には全権委任法が成立し、ヒトラーは議会を経ずに法律を制定できるようになり、独裁体制が確立されたそうです。

8)ドイツの反省
 ヒトラーの独裁体制確立は手続きとしては合法だったので、歴史学では

「民主主義が外から倒されたのではなく、民主主義の制度そのものを利用して独裁が成立した」

という教訓として語られるそうです。

これは戦後のドイツが基本法(憲法)を制定する際に強く意識した点でもあり、大統領権限の縮小や、ドイツ連邦憲法裁判所の設置、「建設的不信任案※」の導入などにつながったとのこと。
※)現職首相を辞めさせる議決と、新しい首相を選出する議決を同時に行う方式。内閣が頻繁に倒れない、首相交代の際も政治的空白が生じない、「とりあえず倒す」という無責任な行動が難しいというメリットがあるとのこと。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 ヒトラーは合法的に首相に就任したようです。

 その背景にはヒンデンブルク大統領の権限の強さとそれを使う人間(達)の予測の甘さ(限界)があったようです。

 そして国会議事堂放火事件と全権委任法により首相就任50余日で独裁体制が築かれてしまいます。あっという間です。

 これまでドイツ大統領の現在の選定方法を調べてきました。各所にヒトラーの再現を防止する工夫が織り込まれていることが分かりました。

 ですが、全権委任法の防止策については掘り下げが浅かったようです。次回はこれの深掘りを試みます。

 次に続きます。

 このシリーズの第一番目のポストはこちらです。同じく前回ポストはこちら、次回ポストはこちらです。

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