nam04:連載「狭量について」4_狭量トップの実例

(抜粋)狭量な人物に巨大な権力を持たせてしまうと、「横暴」が無くとも組織(人)が機能不全に陥り、対外競争に必敗する事態となるようです。武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉は、やはり、真理を表しているようです。 

中年期の万暦帝。景徳鎮の万暦赤絵や本草綱目など文化面や科学面で、あるいは経済面で見るべきものがあった在位期間だったようですが、明帝国滅亡の引き金を引いてしまったようです。こちらから転載させて頂きました。
『ル・リール』誌(フランスの週刊風刺雑誌)に「赤い流血の皇帝」と描かれてしまったアブデュルハミト2世(オスマン帝国)(画:ジャン・ヴェベ)。こちらから転載させて頂きました。
ソフォニスバ・アングイッソラによるフィリップ2世の肖像画(1565年)。「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるスペイン最盛期を在位中に迎えたものの、アルマダの敗戦(1588年)の頃からスペインに衰退の兆候が現れ始めたそうです。天正の少年使節は厚く歓迎してくれたようですが、、。こちらから転載させて頂きました。

 昨今、「狭量」と評するほかにないという人物、特に著名人が散見されます。

 そこで、改めて「狭量」を本連載で考えてみることにしました。

 前回は、狭量から遠い社会や国々を、その背景を含めて、俯瞰してみました。

 狭量から距離を置くと、概して、その組織や国は繁栄しているようです。

 逆に、狭量な人物をトップに据えてしまったために組織や国が衰退した例を調べてみることにしました。

 例によってChatGPTに質問する形で調査しました。

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0)はじめに
 ヒトラー、スターリン、毛沢東は、「狭量なトップが権力を集中すると危険になる」例としては典型的ではあるけれども、「トップになった途端に国が衰えた」という例ではないとのこと。

 ここでは、

狭量なトップが、異論を許さず、組織内部の多様性・人材・自浄能力を失わせ、その結果として組織そのものが弱体化した例

を見てゆくことにします。

(1)明朝・万暦帝
 万暦帝(在位1572~1620年)は、即位当初は必ずしも無能な皇帝ではなかったようですが、「政治が動かなくなった」例の最上位なのだそうです。

 若い頃には、名臣張居正の改革を利用して行政・財政を立て直しているとのこと。

 ところが、張居正の死後、皇帝と官僚の対立が激しくなり、万暦帝は自分の意向に反する官僚との対立を繰り返し、次第に政治そのものから距離を置くようになったそうです。

 そして、

「自分の意に沿わない人間とは仕事をしたくない」

という姿勢が国家統治そのものを麻痺させる方向に働いたそうです。

 官僚の任命を意図的に遅らせるなどして行政機構に空席が増えていったたのこと。

 単なる「悪い皇帝」という位置付けではなく、組織の自己修復能力を劣化させたトップ話ではないことです。

皇帝と官僚の相互不信人事の停滞行政能力の低下財政・軍事問題への対応力低下

※)1582年の張居正死去の後、豊臣秀吉の朝鮮侵攻(文禄の役(壬辰倭乱)、慶長の役)と播州楊応龍の乱(現在の貴州省)に大軍投入、その後に「万暦帝は30年間、朝廷に姿を見せなかった」となり、1619年サルフの戦い(薩爾滸の戦い)で明軍は後金軍に大敗。1620年の万暦帝死去の後、明は急速に政治・財政・軍事の危機を深め、1644年に滅亡。

(2)オスマン帝国・アブデュルハミト2世
 アブデュルハミト2世(在位1876~1909年)は、非常に有能な面もあった君主ながら強い警戒心を持ち反対派や自由主義勢力を厳しく抑圧したそうです。

 1876年には憲法が制定され議会政治が開始されたものの、1877年~78年の露土戦争後に議会を停止し1908年まで事実上の専制政治を続けたそうです。

 その際に
・官僚制度の強化
・教育制度の拡充
・鉄道建設
・中央政府の統制強化
なども行い、短期的にはむしろ国家統合を強化した面があったそうです。

 しかし、長期的には「反対意見を言える人間がいなくなる」※・※※ことによって、政策の誤りを修正する能力が低下したそうです。
※)最近、某方面でこのセリフを聞いたような気がします。ワールドカップは残念でした。
※※)熊本県知事だった細川護熙氏が「権不十年」と言っていたことを思い出しました。中国の俗顚「花無十日紅 権不十年久」(花に十日の紅なし、権は十年久からず)からの出典だったようです。

 1908年に青年トルコ革命によって憲政が復活し、翌1909年にはアブデュルハミト2世自身は退位させらたとのこと。

 強いトップによって国家を統制することと、国家の組織能力を強くすることは同じではないという好例だそうです。

(3)フィリップ2世(スペイン)
 フィリップ2世(在位1556~1598年)の時代のスペインはまさに世界帝国の絶頂期だったそうです。

 「フィリップ2世が狭量だったからスペインがすぐ衰退した」という話ではなく、むしろ彼の時代には、

レパントの海戦
ポルトガル併合
アメリカ銀
世界規模の軍事力

など、国家の勢いは非常に強かったそうですが、フィリップ2世は非常に中央集権的・官僚的な統治を行ったとのこと。地方の自治や議会(コルテス)との交渉をできるだけ抑え、王権による統制を強めようとしたものの、スペイン帝国はあまりにも巨大だったとのこと。

 結果として、戦争拡大⇒財政負担増大⇒国王による借入依存⇒1575年の支払い停止⇒信用・金融市場への打撃という問題が発生したそうです。

 1575年の国王による支払い停止はカスティーリャ国内の信用市場を凍結させ、商業や銀行にも大きな影響を与えたとのこと。

 フィリップ2世の場合は「狭量な人物による衰退」の典型というより、

強力な君主が、巨大な帝国を自分の判断で動かそうとすると、組織の複雑性が限界を迎える

という例として見る方が適切なのだそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 やはり、狭量な人物に巨大な権力を持たせると、「横暴」が無くとも組織が機能不全に陥るということのようです。

 その際に外国との競争が生ずると必敗に通ずるようです。

 武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉は、やはり、真理を表しているようです。 

 狭量は周囲の人材を機能不全に貶めるということでしょう。

 に続きます。

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