「狭量」は個人だけのものではないようで、社会も狭量化するようです。対して、狭量から距離を保とうとする国々もあるようで、それらを調べてみることにしました。

昨今、「狭量」と評するほかにないという人物、特に著名人が散見されます。
そこで、改めて「狭量」を本連載で考えてみることにしました。
前回の調査では、外的要因により社会が「狭量」となることもあるという指摘が浮上しました。
その回避策が個人の努力の範囲外と思われるため、政治が必要と考えられるとも結論しました。
そこで、狭量から遠い社会や国々を、その背景を含めて、俯瞰してはどうかと考えました。
例によってChatGPTに質問する形で調査しました。
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0)「狭量から遠い国」ランキング
評価対象を
・人種への寛容
・民族への寛容
・移民への寛容
・宗教への寛容
に限定して考えることにします。
社会学や政治学でよく引用される調査(世界価値観調査〈World Values Survey〉、Pew Research Center、OECDの移民統合研究など)の傾向を見ると、次のような国々が高く評価されているようです。
1)カナダ
最も「寛容な移民国家」として挙げられることが多い国だそうです。
理由は、
・1971年に世界で初めて「多文化主義(Multiculturalism)」を国家政策として採用
・人種・民族・宗教の違いを尊重することを国家理念としている
・毎年多数の移民を受け入れている
・イスラム教徒、シク教徒、ユダヤ教徒など様々な宗教共同体が比較的安定して共存している
差別事件もあるようですが、国際比較では非常に評価が高い国だそうです。
2)ニュージーランド
特徴は、
・マオリ先住民との共存を重視
・アジア系移民も多い
・宗教の自由が広く保障されている
・移民への社会的受容が比較的高い
3)オーストラリア
こちらも典型的な移民国家で、特徴は
・欧州系・アジア系・中東系など多様な住民構成
・多文化主義を政府が推進
・宗教の自由が保障される
一方で、難民政策は比較的厳しく、この点は国際的にも議論があるそうです。
⇒⇒以上はいずれも英連邦系の「人口密度が低い」海洋国家※ですね。筆者は、以前に某国大使館員から「わが国には少子化問題は存在しない」と豪語されたことが有りました。軋轢を避けながら移民を国力とする方針なのでしょう。
※)カナダはアメリカ国境を有していますが、不法移民は少ないと思われます。ニュージーランドとオーストラリアは海に囲まれています。
4)オランダ
ヨーロッパでは長く「宗教的寛容」の象徴がオランダだったようです。
17世紀から
・ユダヤ人
・プロテスタント
・カトリック
・思想家
を比較的受け入れてきた歴史があるそうです※。
※)オランダが寛容だった背景や理由を末尾に記しました。
現在も宗教的自由への評価は高い一方、近年は移民問題をめぐる政治的議論が活発になっているそうです。
5)スウェーデン
難民受け入れでは長年世界有数だったそうです。
ただし、
・2015年以降の難民流入
・治安問題
・統合政策
などを背景に、近年は移民政策を見直す方向へ転じているとのこと。
「制度は寛容だが、国民の意見は以前ほど一様ではない」という状況だそうです。
6)北欧諸国について
「北欧=最も寛容」という印象があるようですが、人種・民族・移民に限ると必ずしも一枚岩ではないそうです。
例えば、
・移民受け入れへの慎重論
・極右政党の支持拡大
・イスラム移民との統合問題
などが近年は目立つようです。
制度上は寛容でも、世論には変化が見られるとのこと。
7)総合的観点から
上述の4項目(人種・民族・移民・宗教)だけで評価するなら、現在の国際的な研究や調査では、
(1)カナダ(最も安定して高評価)
(2)ニュージーランド
(3)オーストラリア
(4)オランダ
(5)スウェーデン
という顔ぶれがよく挙げられるようです。
この中でもカナダは、多文化主義を国家理念として長年維持し、人種・民族・宗教の多様性を制度的に支えてきた点から、「総合的に最も寛容な社会」と評価されることが特に多い国だそうです。
《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《
人口問題解決や商業的視点を重視している国は寛容であり、狭量から距離を置けるようです。
「利害をさておいて寛容」という国々は、どうやら、見当たらないようです。
人間社会はそんなものかもしれませんが、どうせなら「利害に立脚しても寛容」を選択した方が良い結果に通ずるように感ずるのは筆者だけでしょうか?
また、昨今の移民問題は雇用や賃金の圧縮と関連してしまい、社会の度量を揺るがす要因となっているのかもしれません。
筆者の個人的な意見ですが、「寛容」は、多くの場合、少数派を認めるという現象に通じ、少数派は多数派よりも思慮が深い傾向があることを勘案すれば、寛容が思慮深い社会の構築に通ずるという長期的メリットもあるように考えます。如何でしょうか?
次に続きます。
【追記:オランダの寛容の背景と理由】
0)序
17世紀から18世紀にかけて、オランダ(ネーデルラント共和国)はヨーロッパで「宗教的寛容」の象徴とみなされていたそうです。
ただし、現代的な意味で完全な信教の自由があったわけではなく、「他国よりはるかに寛容だった」というのが正確な評価だそうです。
1)背景 ― 宗教戦争への反省
16世紀のヨーロッパは宗教改革によって大きく分裂したそうです。
・カトリック
・ルター派
・カルヴァン派
が激しく対立※し、各地で宗教戦争が起こったとのこと。
※)同じプロテスタントでもルター派とカルヴァン派が争ったことが有るようです。
特にネーデルラントは、カトリックのスペイン王フェリペ2世の支配下にあり、カルヴァン派住民への弾圧が強まったそうです。
これが1568年に始まる八十年戦争(オランダ独立戦争)の一因に。
そこでオランダ人は、「宗教を国家が強制すると戦争になる」ということを身をもって経験したそうです。
2)商業国家だったこと
これが最大の理由の一つ。
17世紀のオランダは世界有数の貿易国家で
・バルト海交易
・東インド貿易
・西インド貿易
・金融業
・海運業
で繁栄。
商人にとって重要なのは、「相手の宗教」より「相手が信用できるかどうか」だったそうです。
そのため、ユダヤ教徒、カトリック、ルター派、フランスのユグノー(プロテスタント)なども商業活動を認められたとのこと。
3)国家の成り立ち
オランダ共和国は一人の絶対君主が支配する国ではなく、各州が強い自治権を持つ連邦共和国。
そのため、一つの宗派だけを全国に強制することが困難だったようです。
また、後のアメリカ合衆国の連邦制にも一定の影響を与えているそうです。
4)カルヴァン派が多数派だった
オランダには国教に近い地位を持つオランダ改革派教会があり、完全な宗教平等ではなかったようです。
しかし、カトリックやユダヤ教徒も一定の条件のもとで礼拝や商売を続けることができたそうです。
「公認宗教はあるが、他宗派もある程度容認する」という体制。
5)学問の自由
オランダには多くの知識人が亡命してきたそうです。
有名なのは、
・ルネ・デカルト
・バールーフ・デ・スピノザ
・ピエール・ベール
など。
彼らは、他国では出版できない書物をオランダで出版。
そのため、オランダは「思想の自由の国」とも呼ばれるようになったそうです。
6)ユダヤ人の受け入れ
スペインやポルトガルではユダヤ人が迫害されたため、多くのユダヤ人がアムステルダムへ移住。
アムステルダムは「新しいエルサレム」※とも呼ばれるほどにユダヤ人社会が発展。
※)オランダがマンハッタン島をニューアムステルダムと呼んで支配していたころもユダヤ人を受け入れていたため、ニューヨーク近郊にユダヤ人コミュニティが多いのはそのためのようです。
彼らは金融・商業・出版などで大きく活躍。
7)それでも限界はあった
「寛容」とはいえ、現代の意味での宗教の自由ではないそうで、例えば、
・カトリック教会は目立つ外観の教会を建てられない。
・公職は改革派教会の信徒が有利。
・公然たる布教には制限がある。
などの制約は残っていたそうです。
8)ジョン・ロック
ロックは1683年から1689年まで亡命生活※を送り、その多くをオランダで過ごしたそうです。そこで実際に比較的寛容な社会を目の当たりにしたことが、帰国後に著した『寛容についての書簡』(1689年)の思想形成に大きな影響を与えたと考えられているそうです。つまり、オランダは単に寛容な国だっただけでなく、近代的な「信教の自由」の理念が成熟する土壌ともなったそうです。
※)島田市岸の大日山瞰川寺にある賑恤記念碑建立は1667年です。ジョン・ロックが寛容について考えていた20年前に弱者救済を実施した人々が島田にいたことを考えると心が震えます。



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