nam05:連載「狭量について」5_狭量から遠いトップの実例

(抜粋)前回は狭量な人物がトップに座ってしまったために国が衰退した、あるいは滅んだという例を俯瞰しました。今回は、逆に、狭量から遠い人物がトップに立った例を見てゆきます。

アショーカ・ピラー※の「獅子柱頭(ライオン・キャピタル)」。サールナート博物館蔵。背中合わせに立つ4頭のアジアライオンが仏教の「四諦(したい)※※」を象徴しつつ、法の車輪(ダルマ・チャクラ)を支える姿を表現しているそうです。こちらから転載させて頂きました。
※)アショカ王が仏教の教えや平和のメッセージを伝えるために各地に建てた石柱。
※※)釈迦が悟った4つの真理。
ライオンと子牛を伴うアクバル(ゴヴァルダン筆、1630年頃)。こちらから転載させて頂きました。
1998年、ブラジルを訪問したマンデラ。こちらから転載させて頂きました。

 昨今、「狭量」と評するほかにないという人物、特に著名人が散見されます。

 そこで、改めて「狭量」を本連載で考えてみることにしました。

 前回は、狭量な人物がトップに座ってしまったために国が衰退した、あるいは滅んだという例を俯瞰しました。

 今回は、逆に、狭量から遠い人物がトップに立った例を見てゆきます。

 例によってChatGPTに質問する形で調査しました。

》》》》》》》》ここから》》》》》》》》

0)はじめに
 「狭量」を、自分と異なる意見・思想・民族・宗教などを許容せず、反対者を排除する傾向と捉えるなら、その逆、つまり寛容さ・包容力を政治的資源として活用して成功した国家指導者としてChatGPTは次の3人を挙げました。

1)アショーカ王(マウリヤ朝、在位前268~232年頃)
 カリンガ戦争※後、アショーカ王は征服戦争中心の政策から転換し、異なる宗教・思想を尊重する政策を打ち出したそうです。
※)紀元前261年頃に古代インドのマウリヤ朝アショーカ王と、独立国カリンガ国※※の間で行われた激しい戦い。この戦争による甚大な犠牲に深く後悔したアショーカ王は武力による征服を止め、仏教の教えによる「法の支配」へと政策を大きく転換。
※※)現在のバングラデシュの西隣の地域。

 特に有名なのが、彼の法勅に見られる「自分の宗派だけを尊重し、他の宗派を非難するべきではない」※という姿勢。
※)仏教が他宗教との共存を肯定する伝統を形成するうえで、一つの重要な先例になったそうです。

 単に「優しい人物だった」ということではなく、異なる集団が存在することを認め、それを帝国統治の安定につなげた点が特筆されるそうです。

2)アクバル帝※(ムガル帝国、在位1556~1605年)
※)有名なタージマハールを作らせたシャー・ジャハーンの祖父に当たる人物です。
 「寛容さが国家統治の成功に直結した例」として最も分かりやすいそうです。

 イスラム教徒のアクバルは、しかし、人口の大部分を占めるヒンドゥー教徒との融和を重視。例えば、

・非イスラム教徒への人頭税(ジズヤ)の廃止
・ヒンドゥー教徒を高位の官僚・軍人として登用
・異なる宗教の学者との討論
・宗教間の融和を重視する政策

など。

 その結果、ムガル帝国は単なる「イスラム教徒がヒンドゥー教徒を支配する国家」ではなく、多様な民族・宗教を包含する巨大帝国へ発展。

 後の皇帝アウラングゼーブ※が宗教的により厳格な政策へ転換したことと比較すると、アクバルの特徴が際立つとのこと。
※)アクバルのひ孫。

3)ネルソン・マンデラ(南アフリカ大統領、1994~1999年)
 古代・近世の君主とは全く違うタイプの成功例。

 マンデラが特に評価されるのは、アパルトヘイト体制の被害者側に立ちながら、白人支配層を全面的に排除する方向へ進まなかったことだそうです。

 1994年の民主化後、「勝者が敗者を支配する」のではなく、

「かつて敵だった人々も含めて、新しい南アフリカを作る」

という方向を選択。

 その象徴が真実和解委員会(TRC)

 これは、過去の人権侵害を無かったことにする制度ではなく、真実を明らかにし、加害者側にも一定の条件のもとで恩赦の道を設けることで、報復の連鎖を避けることを狙ったものだったそうです。

4)上記3人に共通するもの
 この3人を単純に「善人」として並べるのは適切ではなく、共通しているのは、

「自分と異なる人々を完全に排除するより、取り込んだ方が国家を強くできる」

という政治的判断。

異論を許容する → 有能な人材を敵味方を問わず使える → 社会の分断を抑える → 政策の選択肢が増える

という経路は、国家の長期的な強さにつながり得るとのこと。

 この観点では、アクバル帝が3人の中では特に興味深い事例で、「寛容」という個人的美徳をかなり意識的に帝国統治の技術へ変えていたそうです。

《《《《《《《《ここまで《《《《《《《《

 改めて武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉に感じ入った次第。

 反対に、狭量なトップを目にすると気が滅入りますな。

 に続きます。

コメント / Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です