
筆者はインターネットが隆起するタイミングで研究者としての専門分野がその近所だった者です。
当時、筆者は非常に甘い考えを抱いていました。
インターネットが普及すれば、皆がより容易にコミュニケートできるようになり、より容易に知識を獲得できるようになり、、、。それらによってより良き社会が実現するのではないかと、、などと。
ところが、昨今のSNSを覗いてみると、真逆の方向に進んでいるのかもしれないという恐れを抱くようになりました。
という訳で、「衆愚」という概念を深掘りしてみようと思い立ちました。
まずは古代ギリシャに「衆愚政治」を嘆いた哲学者を訪ねてみることにします。
筆者の高校時代、「倫理社会」という科目がありました。孔子やソクラテスが登場する教科書でしたが、それをまともに勉強しなかった筆者です。その埋め合わせも兼ねています。
例によってChatGPTに質問する形で調査しました。
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「衆愚政治(デマゴギー、ochlocracy)」という現象を体系的に批判し始めたのは古代ギリシャの哲学者たちだそうですが、その出発点として最も重要なのはプラトン(428–423 BC~348/347 BC)とのこと。。
ただし、「衆愚政治」という言葉そのものを最初に作った人物は、プラトンではないようです。
1)プラトンの考え
プラトン(Plato)は著書『Republic(国家)』で、「民主政は、自由を過度に追求した結果、秩序を失い、やがて僭主政(独裁)へ転落する」と論じたそうです。
彼が最も警戒した※のは、
・民衆に迎合する弁論家
・耳障りのよい公約を並べる政治家
・理性より感情で動く民衆
だったとのこと。
※)プラトンはアテネで民主政の失敗と独裁政の失敗の両方を実体験したそうです。
今日「衆愚政治」と呼ばれる現象の多くは、実はプラトンが描いた民主政の劣化像とよく一致しているそうです。
2)なぜプラトンは民主政を嫌ったのか
これは彼の体験が大きく影響しているそうです。師であるソクラテス(Socrates)は、民主政下のアテネ(Athens)で民衆裁判によって死刑となったとのこと。
プラトンは、「多数決が必ずしも正しい判断を導くわけではない」※という強い不信感を抱くようになったそうです。
※)元外務省国際情報局長の孫崎享氏は「(外務省では?)少数意見の方が大概は正しい」と指摘していました。理由は「多数派に負けないために少数派の方がより深く調べ考えるから」※※だそうです。
※※)逆に言えば、「多数派の調査や思考は甘くなりがち」となります。多数派を構成する人々の多くは付和雷同だったり、真理よりも人間関係を重視したりするからでしょうか?ただし、孫崎氏の指摘は「難しい問題」に限るという条件が付与されるはずです。
3)「衆愚政治」という言葉
現在日本語でいう「衆愚政治」は、英語では
・Demagoguery(デマゴギー)
・Ochlocracy(オクロクラシー、暴民政治)
などが対応するそうです。
このうち、Ochlocracy(オクロクラシー)という言葉は紀元前2世紀頃の歴史家ポリュビオス(Polybius)が体系的に用いたそうです。
「オクロス(群衆・暴民)」+「クラティア(支配)」というギリシャ語から構成されているとのこと。
4)ポリュビオスの政治循環論
ポリュビオスは有名な「政体循環論」を唱えたそうです。
彼によれば、
「君主政⇒僭主政⇒貴族政⇒寡頭政⇒民主政⇒衆愚政治(暴民政治)」
という順に政体は堕落し、最後には再び君主政へ戻るのだそうです。この中の民主政が腐敗した最終段階を「オクロクラシー」と定義したとのこと。
5)アリストテレスの位置づけ
アリストテレス(Aristotle)も『Politics(政治学)』の中で政治体制を
・良い形
・堕落した形
に分類したそうです。
民主政そのものを全面否定したわけではないようですが、法ではなく群衆の感情によって政治が動く状態を危険視したそうです。
この考えも後の「衆愚政治」論へ大きな影響を与えているとのこと。
6)まとめ
以上を整理します。
・民主政が衆愚化する危険性を最も力強く論じたのはプラトン。
・「オクロクラシー(衆愚政治・暴民政治)」という政治学上の概念を体系化したのはポリュビオス。
・アリストテレスはその中間に位置し、法に支配された民主政と、感情に支配された民主政を区別。
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ちなみに、プラトンの著作はビザンツ帝国によって保存されていたそうです。
次に続きます。



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