19cw007: 19世紀の戦争_007 フランス革命戦争_5 イタリア侵略

革命反乱軍に対して大砲という乱暴な手法をパリ市内で使って鎮圧したナポレオン。イタリア遠征前年の1795年。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回は、フランスが人口に物を言わせる「国民皆兵」制度を強制し始めた旨を論考しました。

「戦争が無くても困らない」人まで戦争参加を義務化するのはやめて欲しかったところです。

今回は、「革命防衛を根拠に開戦したはずなのに、革命と無関係なエジプトに遠征軍をフランスが派遣した」背景を探ります。フランスのイタリア遠征です。

この段階では「イタリア」という国は無く、イタリア地方はオーストリア領ミラノ、ヴェネツィア共和国、ジェノバ共和国といった都市国家が乱立している(独立している?)状況でした。

フランスのそれ以前の主要な敵対国はオーストリアとイギリスでした。イタリア北西部のサルデーニャ王国はオーストリア側で参戦していたため、この国も敵対国でした。直接対決の無かったイギリスは海上からフランスを封鎖し、財政・補給面で他の対仏諸国を支援していたようです。


他方、1795年までにスペインやプロセインと講和条約を結ぶことに成功したフランスは、対仏大同盟を弱体化させることに成功していたようです。

「革命防衛」だけが目的の戦争であれば、1795年の時点で戦争をやめればよかったはずですが、「戦争が次の戦争を呼ぶ」ことをフランスは阻止できなかったようです。「小さな火は早く消せ」という発想は無かったのでしょうか?

フランスは「オーストリアを打倒するため、フランス総裁政府が戦局打開と財政回復を求め、ナポレオンをイタリア方面軍司令官に任命したこと」が契機でイタリア遠征を行いました。サルデーニャ王国に攻め入ったのは1796年です。

「戦局打開と財政回復」とは軍事的勝利と略奪金(軍資金)を意味します。北イタリアは富裕で、占領すれば多額の資金が手に入ると期待されていたようです。略奪を戦争目的とするのは山賊と同じではないでしょうか?

戦争が進んでいくと当初の目的だけでなく「戦争推進」のための様々な要因が付加され、戦争の拡大が必須となるのが戦争の本質の一つのようです。「戦争を進めないと困る」人々の拡大生産が行われるという訳です。

さらに、戦功のあったナポレオンが台頭します。

これも戦争拡大の要因のひとつと言えるでしょう。ナポレオンに限らず、戦いで功績を挙げた人が自軍や自国で賞賛され力を増すのは必然です。ですが、そのような人物は「これで戦争をやめよう」と言い出すでしょうか?「さらなる称賛と権力を求めて戦争機会を拡大させる」ことに注意が向くことが常ではないでしょうか?

イタリア遠征で成功したナポレオンが主張したのがエジプト遠征だったようです。


このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「フランス革命戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。  

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