19cw011: 19世紀の戦争_011 フランス革命戦争_9 戦争国債の償還と所得税の始まり

税負担を怪物群として描いた作品。イギリスに所得税が導入された1799年に描かれたそうです。こちらから転載させて頂きました。

Sinking Fundの創始者とされるRobert Walpole。英国の初代首相(1721年-1742年)。こちらから転載させて頂きました。

「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。

前回は「イギリスの戦費調達のための国債をロンドン金融市場で買ったのは誰ですか?」とChatGPTに質問してみた結果をご案内しました。

今回は、その戦争国債をイギリスが如何様に返済したかを見てゆきます。

ChatGPTに「イギリスはどのようにして戦争国債を返済したのですか?」と問い掛けてみました。

というのも、イギリスは戦費不足でアミアンの和約を結んでフランス革命戦争を終結させたのにも拘わらず、その1年後に戦闘再開でナポレオン戦争を始めました。これがとても不思議に思われたためです。普通に考えると、1年間の税収の貯えではすぐに戦費払底が訪れるはずです。

「とても鋭い質問です。イギリスがフランス革命戦争(1792–1802年)およびナポレオン戦争(1803–1815年)で膨大な戦費を「借金で賄いながらも、最終的に返済・維持できた」のは、近代財政史の核心に関わるテーマです。」と質問を褒めてもらいました(褒め殺しはChatGPTの常かもしれません(笑))。

以下では、ChatGPTが「どのようにしてイギリスが戦争国債を返済・管理したのか」を制度・経済・政治の3つの観点から整理して説明してくれた概要を紹介します。

【イギリスの戦争国債返済の仕組み】
1) 「返済」ではなく「維持」:恒常的国債制度
まず重要なのは、イギリスは戦争国債を「一括で返済」したのではなく、利払いを確実に行いながら、永続的に借り換え・管理する体制を築いたということなのだそうです(※)。
※)あれ、、。どこかで聞いたような話ですね。
18世紀以来、イギリスは「基金化された負債(funded debt)」制度を採用したそうで、元本返済ではなく、利子支払いのための恒常的税収(sinking fund)を設定していたそうです。
国債を新たに発行して、旧債を償還することも頻繁に行われた(借換債方式)ようで、「借金を完済する」のではなく、「信用を保って借金を永続的に維持する」というのが基本戦略だったそうです。
⇒⇒フランス革命戦争を一旦終結させたのは、この仕組みが滞ったためということのようです。

2)返済資金源:安定した税収基盤
ピット首相(William Pitt the Younger=小ビットですね)は戦時財政の要として新税の導入と徴税拡大を行ったそうです。
代表的なものが1799年の所得税導入(Income Tax)だそうで、さらに酒・砂糖・煙草などへの間接税も増加したようです。
この税収のうち一部が国債利払い・償還基金に充てられ、利払いを確実に行うことで国債市場の信用を維持し、国債価格が安定し続けた。
⇒⇒戦争や侵略を支えたのが金融システムだったということのようです。
⇒⇒1799年の所得税導入は世界初だったようです。「所得税は戦争継続のために導入された」ということは覚えてく必要があるかもしれません。

3) 「シンキング・ファンド(Sinking Fund)」制度
ピットが1786年に導入した制度で、毎年一定額を積み立てて国債の一部を市場から買い戻す仕組みだそうです。
政府は基金に拠出し、イングランド銀行がその資金で国債を少しずつ償還したとのこと。
戦時中は実質的に機能が弱まったけれども、「政府は返済努力をしている」という信用維持装置として重要だったそうです。
⇒⇒時間的に集中する戦争の対価を分散して返済するというやり方のようですね。税金を使って。

4)経済成長と税収拡大による「実質的な負担軽減」
ナポレオン戦争(この後に分析します)後、イギリスの債務はGDPの約250%に達するほど巨大だったそうですが、19世紀に入ると産業革命による経済成長と貿易拡大によって税収が増加したそうです。
名目債務が減らなくても、経済の拡大により相対的な債務負担(GDP比)は低下したそうで、「成長による返済(growth dividend)」の典型例とされているそうです。

5)デフォルトしなかった「信用国家」
イギリスは18〜19世紀を通じて一度も国債をデフォルトしなかったそうです。
この信用があるため、常に低金利で新しい国債を発行でき、旧債の借り換えも容易だったそうです。
19世紀半ばには、高金利債の低金利債への転換(consol consolidation)が進められ、3%公債(3% Consols)への一本化や低利化による利払い負担の軽減などが行われたそうです。

以上にある「信用によって借金を維持するモデル」は、その後の近代国家財政の原型となり、19世紀の「パクス・ブリタニカ(Pax Britannica)」の基盤を支えたそうです。

思うに、「戦争費用を調達する必要がある」⇒「金融市場で戦争国債を買ってもらう必要がある」⇒「そのためには国家の信用を保つ必要がある」⇒「経済成長と侵略成功を続ける必要がある」⇒「戦争費用を調達する必要がある」、、、という悪魔のサイクルがイギリスによって始められたように感じるのですが、読者の皆様は如何でしょうか?

さて、イギリスが19世紀に多くの戦争や侵略を行った基盤が金融システムだったことが判明しましたが、当初の疑問である「金融システムによる戦費の払底が同じ金融システムによって1年で回復されるものなのか?」の答には辿り着いていません。

次回はこの点をさらに深めてゆく予定です。

このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「フランス革命戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。  

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