
「The Village Politicians(村の政治家たち:David Wilkie、1806)」。こちらから転載させて頂きました。

「The Arrival of a Stagecoach in the Courtyard of the Messageries(メッセージリーの中庭への駅馬車の到着:Louis-Léopold Boilly、1803)」。こちらから転載させて頂きました。

「Pitlessie Fair(ピットレシーフェア:David Wilkie、1804)」。こちらから転載させて頂きました。
「戦争を無くすためには戦争の本質を理解する必要がある」という考え方に立脚して本シリーズに着手しました。
前回はナポレオン戦争(1803年~1815年)当時の平和運動について俯瞰してみました。「平和を望む人々は存在したものの、その数は少なく、影響力も限定的だった」という結果でした。
対して今回は、当時の人々が「戦争を問題解決の手段」と考えた背景についてみてゆきます。
そもそも、イギリスとフランスは長い歴史で文化・学術・人的交流を持っていたし、大学や知識人の間でも互いに影響はあったそうです、当時においても。
11世紀のノルマン・コンクエストでは、ノルマン・フランス語(アングロ=ノルマン語)がイギリスの公用語とされ、古英語を話す庶民との二重言語社会が続いた結果、現代英語に膨大なフランス語の語彙が流入したそうです。
また、12世紀末に設立されたイギリス最古の大学であるオックスフォード大学の起源はパリから移住してきた学生たちによって形成されたそうです。
にも拘わらず、ナポレオン戦争時における庶民の間で戦争支持が強かったのは、単純に「文化的距離」だけでは説明できないそうです。
この辺り、21世紀の現在でも参考になるように思われます。
以下はChatGPTによる背景の考察です。
1)国民国家意識と愛国心の高まり
》18世紀末から19世紀初頭にかけて、フランス革命やナポレオンの登場で「国民国家」の概念が強まったそうです。
》イギリス庶民の間でも「自国を守る」「フランスに脅かされる」といった愛国心が刺激され、戦争を支持する心理が形成されたとのこと。
》知識人や学者は国境を越えた交流をしていても、一般の農民や町人は「隣国の軍隊=自分の生活への脅威」として戦争を捉えやすかったようです。
2)戦争の身近さと日常生活への影響
》当時は兵士になるか、さもなくば税や物価高騰で戦争の影響を直接受けることが多かったそうです。
》戦争が身近であり、「戦争=現実問題の解決手段」という感覚が自然に形成されやすかったとのこと。
》特にナポレオン戦争では、プロパガンダや新聞、チラシが庶民に「戦争は正義と防衛の手段」として伝えられたようです。
3)教育・情報の限界
》庶民は文字を読めない場合が多く、海外の思想や国際情勢への理解が限定的だったようです。
》上流階級や学者の交流があっても、庶民に届くのは「敵はフランス」「敵はイギリス」といった単純化された情報だったとのこと。
⇒冷や汗ものですね(笑)。
⇒近くのベビーブーマーの一人が常々「〇〇国の〇〇(国家元首)がおれは大嫌いだ」と公言しているので、「その理由は?」と尋ねたところ「・・・・ゴニョゴニョ」でした。根拠なき嫌悪がはびこっているようです。
》結果として、戦争が「最も分かりやすい問題解決手段」として認識されやすかったようです。
4)社会的・経済的要因
》農民や都市労働者にとって、戦争は収入源や社会的昇進の手段でもあったそうです。
》徴兵や軍役は負担でもある一方で、軍隊での報酬や戦功が身分向上につながる場合もあったとのこと。
》経済的競争が激しい時代に、「敵を倒す=国の経済的・安全保障上の利益」と直結して認識されやすかったようです。
まとめると、「戦争は文化や知識の交流を超える、社会的・経済的・心理的な現実の選択肢」として庶民の間で認識されやすかったということだそうです。
⇒改めて現代のコーポレートメディアの不義を痛感させられます。「不義メディア」と改称したほうがよいのでは?
次回は、ナポレオン戦争の当初の流れを見てゆきます。
このシリーズはこちらに続きます(新しく投稿されるとそちらに飛びます)。また、このシリーズの初回はこちらです。「ナポレオン戦争」ミニシリーズの初回はこちらです。他のミニシリーズの初回は以下の通り。
・「フランス革命戦争」
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